つかのま。

読書と日々考えたこと

トーマス・C・フォスター『大学教授のように小説を読む方法(増補新版)』

本はそこそこ読んでいたが、ブログは少し間が空いてしまった。若干遡るけどこの本は良かったので備忘録的に書いておきたい。

英米文学教授の著者が、わかりやすい語り口で象徴の読み解き方や間テクスト性などのちょっとテクニカルな文学との向き合い方を解説してくれる本。

文学系の授業は米文学の概論と独文学の入門演習のようなものをそれぞれ1科目ずつ齧った…という程度だったので、文学部の授業っていったい何をするんだろう?文学部の読み方と私の普段の読み方はどう違うんだろう、と気になっていたりした。

あくまでアメリカの大学での英米文学の話だから日本/日本文学のそれとは違うかもだけど、なんとなく方向性は感じ取れた気がする。少なくとも独文学の入門演習で要求されてたことの意味はようやくわかったのかも…ちなみにホフマンの『砂男』なんかを発表担当で読みました(翻訳で)。

実のところ、この本で紹介されているような読み方はすでにある程度はしてたなと思った。前述の演習授業で軽く触れてたのもあるけど、それ以前に私の場合はミヒャエル・エンデに強めに衝突してたのが大きいと思う。

特に『鏡の中の鏡』『自由の牢獄』の2冊。それぞれ小中学生の頃に背伸び気味に読んでいて、なんじゃこりゃ、何かわからないけど面白い…!とわけの分からなさに衝撃を受けた私は、わかりたくてだいぶエンデと格闘していた。幸い高校の図書館には岩波のエンデ全集が揃っていたので、全部読んだ。対談集やエッセイ的文章からエンデが影響を受けたものを片っ端からメモしていたりした。そのうち読めたものはほぼないけど…。当時のドイツ事情を調べたりキリスト教だけでなくシュタイナーなんかも勉強しようとしたりしていた。ドイツ文学の流れでカフカも読んだりしていた。

ドイツ文学/ドイツ語を専攻するのは結構受験ギリギリまで選択肢に入れていた。そこに踏み切らなかったのはエンデが文学的に解釈されるのが嫌いみたいなことを言ってたからだったりする(具体的にどこの記述だったかは記憶がもう曖昧だけど)。最終的には入学した大学が文学と言語学を別学科レベルで扱うところだったので言語学を選んで文学は諦めた。

エンデで培った癖で自然と解釈的な読みをしていた部分があったけど、今回のこの本でより具体的に『読み方』のイメージがついた気がする。じっくり本が読みたくなる本だった。


この本の素敵なところは著者自身が読書を楽しんでいるのがよくわかるところ。押し付けがましいところがなくて、あくまで読書を文学教授風に楽しむためのtipsを開陳してくれている感じだ。この読み方ならエンデだって許してくれる、というか許されるも何も無い、作品はもうエンデの手を永遠に離れて固定化された状態で私の目の前にあるのだから。ここから何を読み取るかはあとはもう私と作品の間の問題だ。

ヴェニスの商人』の評価に対しての葛藤の部分が印象的だった。「ユダヤ人」についての話題が飛び交う今だから、特に。それ以外にも差別的な表現等へも向き合おうとする姿勢が真摯だと思った。


最近はTwitterなんかでいわゆる『考察』的な読み方が流行っている。そのムーブメントや取り巻く言動等には色々と思うところもあったりするのだけど(自戒も込めつつ)、テクニカルな読みというものに興味がある人にはおすすめの本じゃないかなと思う。