つかのま。

読書と日々考えたこと

金庸『天龍八部』(全8巻)

去年の5−9月にかけて読了していたが、ブログに書きそびれていたのを思い出したので今更書いておく。

『魔道祖師』を読んだ流れで「武侠小説」なるジャンルの存在を知った。最初は『笑傲江湖』が読みたかったのだが図書館になく。かわりに、全巻そろっていて表紙が気になった『天龍八部』を手に取ったのだった。

結論、めちゃくちゃ面白かった。

当初は「金庸武侠小説の代表的作家」「タイトルは仏教由来で云々」「歴史的背景を踏まえて民族同士の衝突が云々」などの前情報ありきだったため、古めでお固めの硬派な作品なのかな?と思っていたが、蓋を開けてみるとひと昔前のラブコメみたいな展開が頻出し、ギャップで大いに面食らった。

以下、一巻段階で出てくるラブコメラノベか??要素
・介抱ラッキースケベ
・裸図が満載の秘伝書
・危険回避のための咄嗟の夫婦宣言
・旦那(仮)がほかの女に抱きついたと思って嫉妬したら母上
・密室媚薬盛り危機一髪状況
・気になるあの子は腹違いのきょうだい

最初の主人公・段誉も、江湖のトラブルに巻き込まれながらも武より文を愛する飄々とした人物で、しょっちゅう誘拐されるような弱さでもいっぱしの義侠心を持ち合わせていて嫌味がない。好感が持てる軽妙なキャラクターだった。

しかし全編そんなラブコメラノベなのではなく、しっかり周囲では民族同士の衝突や差別、亡国の妄執などが重厚に描かれている。温度差。

主に段誉で軽快ラブコメラノベをやって蕭峯で"民族と国家"みたいな話を同時並行で…さらに慕容復で亡国の亡霊もやるし虚竹で坊主なのに女の園の主!?もやる。

漫画的なキャラ造形なのにどっしりがっつり歴史の流れが背景にあり、軽妙軽薄なようでさらさら故事が引用され、大味のようで種まかれている布石が確かにある。

読んでいて大混乱である。こんな小説があるんだ…金庸先生って天才では…!?と今更金庸を"発見"している感覚が面白かった。


山程出てくるどのキャラクターも個性的で印象深かったが、特に一番好きなのはやっぱり段誉かも。主人公たちの中で一番人間くさい感じで、時々ちょっと情けないぐらいなのが作品の明るさにもなっていてとても良かった。


結末まで状況がコロコロとかわり、様々な思惑が複雑に絡み合って先が読めない展開が続いていく。正直、結局どうなったんだっけ?と消化不良な部分もあったりもしたのだが、最後の方の畳み掛けや、単純なハッピーエンドでもバッドエンドでもないような終わり方で、半ば呆然とするような読後感。なんだこれ。

特に慕容復と蕭峯の結末めちゃくちゃ咀嚼したい、最後の方のああすれば不義、こうすれば不孝、でもこれは不仁みたいなところの畳み掛けよ…。"こうあるべき"に押しつぶされてにっちもさっちもいかなくなるような。


独特の読み味がくせになる作品だった。
他の金庸作品も色々と開拓していきたい。

【つくば土浦旅行:3泊4日】遺跡・宇宙・おもいで

先日、3泊4日で茨城はつくば市土浦市を旅行した。
今回の主目的は大学時代のサークル関連のイベントに参加すること。
そのため、3泊4日といいつつ実質的に旅行のような行動をしたのは1日半程度だったので、1記事にまとめて書く。

旅行をするとき、きっちり準備をするパターン(前回の徳島香川旅行)と、ざっくりしか決めずノリで動くパターン(だいたいこっち)があるが、今回は後者だった。
漠然と行きたいところはリストアップしつつ、具体的な行動計画はほぼ決めずに行った。

事前に決めていたのは、「学生時代に行けなかったところに行く」こと。
大学生の頃、4年間つくばに住んでいたが、当時は引きこもり予備軍という感じで、あまりどこにも行っていなかった。当然車を持っていなかったのと、当地の学生必須交通手段・自転車が苦手で、交通手段といえば徒歩とバスだったというのが大きい。だから今回は観光予定の3日目にレンタカーを借りることにしていた。

しかし、今回行くに当たって観光地をピックアップしようとしていたら、意外とあちこち行っていたんだなぁと感じた。つくばのメインの観光スポットといえば筑波山と、JAXA産総研などの公開施設だが、筑波山も、一般公開されている研究所の資料館の類も、意外と全部行っていたのだった。

それならつくば市内だけじゃなく、近隣にも足を伸ばそうと周辺を色々とリサーチ。つくばからは茨城県内のアクセスが結構面倒で、茨城県内はまだまだ未踏破だった。
それでも鹿島(鹿島神宮)・水戸(偕楽園)・大洗(駅前だけ)・坂東(茨城県自然博物館)・牛久(牛久大仏)にはいったことがあったのはちょっと頑張ってたかも。特に坂東は大変だった…。

今回はさすがに日帰りだし、あまり遠くにはいけない。そこで、つくば市内・土浦市内で収めることにした。できれば石岡にも行ってみたかったが(常陸總社宮)、流石に時間的に厳しそうだった。とはいえ予定適当旅なので、行けそうなら行ってみようか程度でとめておく。


初日はお昼すぎの飛行機。前日までしっかり残業していたので荷造りを全くしておらず、当日朝にあわててパッキング
。茨城で合う予定の人向けの手土産を買ったりお昼を食べたりしようと思って早めに空港についたものの、平日にも関わらず空港が激混みしており、手荷物カウンターで並び、お昼を食べようにも食事処も混み…という状態でかなりギリギリだった。結局コンビニでタコライス巻を買って大急ぎで食べた。

飛行機が遅延してしまい、成田空港からのバスを一本のがす。おかげで成田空港第三ターミナルで2時間程度時間を潰すことに。今回の飛行機のお供は漫画版の『虚構推理』だった。アニメは見たことあった。面白かったので続き買います。城平京が多分好きです。

成田からつくばまでは高速バスで約1時間程度。飛行機で約3時間、空港で2時間、バスで1時間の移動ですでに結構ヘロヘロ。つくばに住んでいた頃は何度かこのルートで帰省をしていたはずなわけで、こんなに大変だったっけ…と記憶を疑い始める。

ホテルにチェックインした頃にはもう19時を回っていた。さすがにこの時間からは何をするでもないが、もったいない気がして、当時住んでいたアパートの近くにバスで向かった。すぐ近くにあるインドカレー屋で夕食にしようと思っていたが、昔何度も通っていた唐揚げ弁当の店がまだ営業しているのを見つけてしまって、結局そこで買った。あとはマックスコーヒー缶。


もう6年ほどぶりなので懐かしい気持ちになるかなと思っていたが、あまり「懐かしい」という感覚がないのが意外だった。大学4年間は、沖縄に帰省するたびに地元が変わってしまっているような感覚でソワソワしたのにね。

二日目はメインイベントの用事の日。この日は朝からホテル近く(徒歩でいくには近くはない…)のカラオケで1時間だけ笛を吹き、そのあとはしばらく大学構内を散歩した。大学でもあまり懐かしいという感覚はなく。ただ、あぁ、私はここを活用しきれなかったなぁ、と思うばかりだった。とてもとても後悔が大きい大学時代だった。



今ならもっときちんと大学生ができたのかな、と思い返してみたけれど、多分やっぱりだめだと思う。今、放送大学はそれなりにできているのは、沖縄に住んでいて、通信制という誰ともかかわらないですむ形態があっているからだ。

これは今回の旅行を通して感じたことだが、私はつくばという街とそもそも相性がすこぶる悪かったのだと思う。特に学園エリア。

つくばには地元にはなくて、私が憧れていたものがたくさんある。大きめの公立図書館、プラネタリウム、科学教育や文化芸術への気軽なアクセス、多様な文化、そしてその中で生きている人々。東京にだって電車一本でいけてしまう。親が教員だったので比較的家庭内の教育に対する理解もあったし、地元は沖縄本島南部なのでバスで那覇にアクセスすればある程度触れることはできたから、比較的恵まれている方ではあった(今でも地元は「便利な田舎」だなと思う)。とはいえバス賃も馬鹿にならず、子供が気軽に通えるほどではなかった。つくばの学園エリアにはそういったものが全部そろっていて、志望校探しをしているときにも「ここに住んでみたい」と取らぬ狸の皮算用をいろいろしたものだった。

しかし、実際住んでみると、そういった憧れのものに私は全然馴染めなかった。私の文化圏には縁がなかったものに囲まれて、「この街は私の街ではない」と感じてしまったのだった。しかも高校進学時でさえ周囲が沖縄各地から来た人々で違う訛りに囲まれただけで異物感を感じていた人間、関東に突然住んだら当然違和感しかない。文化の違い、言葉の違い、道路環境の違いにすら圧倒されてしまって、はじめての一人暮らしだったのも重なって、毎日下手くそに社会的人間ごっこをしている気分になってしまっていた。つくば、道が広くてまっすぐすぎる。土浦の方ならまだ性に合っていたかな…と思いながら暮らしていた。

あの頃より社会的人間生活にこなれてきて、司書課程だったり勉強だったりその他いろんなごちゃごちゃしていたことに多少整理がついてきた今なら…と思ったりもしたけど、今回もやっぱり「いい街だけど、多分住んだらまた病むな」とは思った。でも、わりと素直にいい街だなと思えたのはよかったし成長を感じた。

メインイベントだったサークル関係の行事もそう。サークルでも人間関係だったり文化の違いだったりで色々あったりなかったりもして、冬の深夜にダラダラ泣きながら手嶌葵をイヤホンで聴きつつペデストリアンデッキを駅から大学まで歩いたりしていたような記憶がめちゃくちゃにあるのだが、今回久々にいろんな人に会ったりして、いい経験もたくさんあったな、と結構素直に思えた。

とにかく、つくばに来てよかったな、と思えた二日目だった。


三日目は観光。レンタカーでつくば・土浦をめぐる。
つくば市内での最初の目的地は小田城跡。つくば市内でも筑波山方面のエリアはさすがに遠くて、学生時代ほとんどいったことがなかった。多分2回くらい…?1回は筑波山に登って、1回はサークルの関係でその付近の公民館の祭りみたいなのに行ったときに散策したくらい。「つくばの足下の歴史を感じる」が今回のテーマということにした。

途中、狭めの道もあったが特に迷うこともなく、すんなり到着。レンタカー、全然余裕だなと調子に乗り始める。



小田城の小田氏は八田知家が始祖ということで、ぼんやり『鎌倉殿の十三人』を思い出しながら案内所をぐるり。一部屋程度の小さな展示ではあるが、小田城の歴史をざっと学べるコンパクトで勉強になる内容だった。
南北朝時代には北畠親房がここで『神皇正統記』を執筆したらしい。教科書で出てくる名前が思いがけず現れて、おお、となった。足下の歴史が教科書レベルの「大きな歴史」につながった感覚。そこから南北朝熱が上がってしまい、前々から買おうと思っていた『逃げ上手の若君』単行本をKindleで一気買いしアニメも見た。面白かったです。ちなみにこれを書いている今は大河ドラマ太平記』をNHKオンデマンドでちまちま見ている。

跡部分は公園として整備されている。一見するとだだっ広い芝生の広場という感じ。子供たちが遊んでいたりした。実はこの旅行の前に県内ドライブで中城城跡や勝連城跡に行っていたので、おー、平城だ…と謎の感想を抱いたりしていた。


次の目的地は平沢官衙遺跡…の予定だったのだが、ここに来て急に筑波山に行っておくか…と血迷い始める。学生時代に一度上っているのでまぁ今回はいいか、と思っていたのだが、結構近くまで来ているので、それなら筑波山神社~ケーブルカーで山頂ぐらい行っておくか?という気になってしまって、あまり計画性もなく行ってみることにした。

途中までは道もすいていて余裕をこいていたのだが、山道の途中から急に混み始め、いやな予感がし始めた。筑波山神社最寄りの駐車場は台数が少なめなのは把握していたので、ちょっと遠くても止められる駐車場に止めよう…と若干譲歩したものの、駐車場の空き状況案内の電光掲示板を見て絶望。なんともうすでにつつじヶ丘(女体山の方)の駐車場しか空いてなかった。えー、目的地は男体山の方なんだけど…とかなり諦め側に心が傾き始めたが、狭い山道でUターンもできず、とにかく流されるままに進むしかなく。とりあえずつつじヶ丘に行くか…と進んでいたが、うっかり道を間違え、筑波山神社方向に行ってしまった。この時点で結構諦めが強くなってくる。どうせついても混んでるだろうな、これはもう帰った方がいいよな…そもそも全然アウトドアする気のない格好だしなぁ…とUターンできる場所を探し始めた。結局流されるまま筑波山神社駐車場の目前まで来てしまったのだが、そこでも車が激詰まりしているのを見て、すぐそこにあった食堂?の駐車場でこれ幸いとUターンして道を下った。行っていたら多分そのあとの行動に支障が出ていたので、これは結局いけなくてよかったのだと思う。みんな、筑波山にいくときは朝一番のシャトルバスで行こうね。

道をくだり、そのまま今度こそ平沢官衙遺跡へ。ここは奈良・平安時代郡衙跡。こちらにも小さな案内所があるが、こちらは小田城跡ほどは説明がなかった。入り口前では焼き芋を売っていた。手ぬぐいなどのちょっとしたお土産もわずかに売っている。



復元されている正倉跡が見所…なのだが、たまたま工事期間中で、しっかり見ることはできなかった。大変残念。でもちょっと小高くなっているあたりからあたりを見渡していると、あぁここで確かに暮らしていた人たちがいるんだなぁ、と感じた。筑波山麓付近の雰囲気は結構好きかもしれない。沖縄本島南部と比べたときのスケールのでかさ・だだっ広さにはクラクラするけども。


小田城・平沢官衙遺跡はさっと見る程度のつもりだったのに、筑波山アタックで30分以上無駄にしてしまっており、時間はすでに正午ごろ。ここからは土浦に向かう。

土浦最初の目的地は、お昼ご飯をかねての「喫茶 蔵」。亀城公園付近の駐車場に止めて徒歩で行く。


おしゃれな店内でツェッペリンカレーを食べました。おいしかったです。



まちかど蔵はさっと見学だけ。おみやげ屋という感じで、あまりがっつり見学するところではない印象。



次は土浦市立博物館。
外から見るとかなり大きい感じかな?と思っていたが、中の展示部分はそれほど広くはなくて、結構さっと見て回れる内容だった。「土浦花火百年」の企画展中だった。




土浦の歴史を学んだあとは土浦城跡へ。
小田城→土浦城と移動してきたので、この辺では戦国時代(小田氏治)のことをうっすら考えていた。土浦の博物館の展示的には江戸時代以降の土屋家要素が強めなんだけれども。




ここから少し車で移動して、上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古博物館)へ。



縄文時代に特化した常設展示。「ここで生きてきた人々」を感じるこういう展示が好きだ。






実際貝塚の方へも行ってみて、思わず圧倒された。想像以上に貝、貝、貝!ものすごい量の貝の中に土器の破片もいっぱい含まれていた。今となっては名前も残っていない人々が、ここで確かに生活していたのだ。もしかしたら今も、そこで生きていた人の血がどこかで繋がっているのかも。そんなスケールを感じさせる場所だった。






時間はもうすでに17時頃、そろそろいろんな文化施設の類いは閉まってしまう時間帯。出発前から迷っていた石岡市遠征はさすがに無理だなと区切りをつけて、霞ヶ浦公園へ。
実は霞ヶ浦は一度も行ったことがなかった。そこで何をするでもないが、とりあえず霞ヶ浦を見たという事実をつくって帰ろうと思って今回行程に組み込んだ。これで県南エリアの有名どころはだいたい行ったといえるのではないだろうか。
オランダ風車から霞ヶ浦を望んで、少しぶらぶら。湖畔で小さな音楽フェスみたいなことをしていた。知らない人の知らない音楽を夕暮れの霞ヶ浦を眺めながら聞いた。






日が暮れたところで土浦駅を目指す。今回はレンタカーを土浦駅前で乗り捨てる行程にしていた。なんとなく、土浦→つくば間のバスにももう一度乗っておきたくて。
土浦にはバイトの関係などで何回か来たことがあった。常磐線使うためにも来たかな。なんとなく那覇と似ているような気がして、つくばよりは居心地がよいかもと感じていた街だった。ただし車なしだと頻繁に行くほどは近くないので、そこが難点。もう少し近ければ多分逃げ場所にしていた。



バス待ちの間に、土浦といえば(?)志ち乃のどら焼き。


駅前の木にやたら鳥が止まっていてちょっと異様だった。

バスの中で、バス停のアナウンスを聞きながら、あぁここらで途中下車してぶらぶらもしてみたかったりもしたなぁ、と思い出したりしていた。「花室観音」がずっと気になっています。

夜は駅前の清六家。つくばはやたらラーメン屋が多いが、お金がなかったのと出不精であんまり行っていなくて、実は初清六家だったりする。



飲みに行こうかなとうっすら思っていたが、前日に結構飲み過ぎていたのとお金も大分使ってしまっている感覚だったのでこの日はやめた。ホテルに戻って『逃げ若』のアニメを急に見始めていた。



四日目最終日は飛行機を午後の便にしたので、午前中はもう少しだけ観光を。この日はつくばエキスポセンターに行った。




学生時代、つくばで一番好きだったのはこのエキスポセンター。何度も何度もプラネタリウムに通い、年パスを買っていたこともあった。来館4回程度で元が取れるお得な年パスだった。
実は二日目にもプラネタリウムの星空案内をふらりと見に来ていた。本当は付設のレストランでお昼を食べるつもりだったのだが閉店してしまっていたのでぱっとプラネタリウムだけ見ていたのだった。そのときは展示部分はほぼ見れなかったので、4日目には展示をぐるりとみて、時間がちょうどよかったコナンのプラネタリウム番組を見た。本当はオリジナルのホルストの番組が気になっていたけど時間が合わず。エキスポセンターのオリジナル番組結構好きだった。

やっぱりエキスポセンター好きだな。これが身近にあるのはすごくいいよね、とプラナリアを切りまくるゲームを一心不乱にやる子供たちの列を見ながら思った。経験上、平日昼間に来ると空いているので大人も心置きなくプラナリアを切るゲームができます。

ここで少しお土産を買った。宇宙食を再現したお菓子とコスモ星丸くんのアクスタなど。コスモ星丸くんのもう少し小さいぬいぐるみみたいなものがあればほしいんだけど意外とない。

駅前に帰りがてら市立図書館にふらりと立ち寄った。ここに通えていたら違ったよなぁと思う。当時は結局ほぼこれなかった。でもここで何冊か長野まゆみを借りたり、ルルーを読んだり。ホビットシルマリルもここで初めて読んだんだったかな。でもやっぱりもっと通えていたらよかった。

お昼は同じアルス内のカフェオハナでパスタ。一回くらいは入ったことあるんだったかな。




最後は職場と家族にお土産を…と駅の土産屋で探そうとしたが、記憶よりも品揃えがよくないような気がした。あれ!?となり、あわててほかにつくばっぽい土産が買える場所を検索。結局Q'tのなかのカスミで買った。クレオスクエア、当時結構過疎り気味だった記憶があるので、なんだか復活してておどろいた。イオンは消えたんだ…。意外と「つくばっぽい」お土産ってないよなぁと感じるなどした。観光地としては筑波山がメインだろうから、土地のお土産っぽいのを買うならやっぱり筑波山がいいのだと思う。

そして高速バスで成田へ。飛行機とバスの時間の都合があまりよくなく、成田で3時間くらい過ごすか搭乗時間直前着か…の2択の便しかなく、今回はギリギリの方を選んだので始終ハラハラしていた。が、特に問題なくついて一安心。ほとんど待ち時間なく、ぱっと保安を通ってすっと搭乗。帰りの飛行機のお供は『逃げ若』でした。

今回はあまり無理をせず、夕方には沖縄につく飛行機を選んでいたので、家に帰れるバスも全然ある時間帯。総じて、つくばに行ってよかったな、とまたひとつ何かを精算できた気持ちになりながら帰宅した。

クラファン ラスト1週間の応援を振り返る(『影の縫製機』復刊クラファン)

2回ほど応援の記事を上げていた、ミヒャエル・エンデ『影の縫製機』の復刊クラウドファンディングが、ラスト1日を残して無事に成立した。やった~!

▼応援記事

発起人のアトリエ・ヤマグチさんはじめプロジェクト関係者の皆様、本当にお疲れ様です。
書籍の完成を楽しみにしてます。

実は、ラスト1週間は久しぶりにXの公開アカウントにログインし、勝手にお祭り騒ぎをしていた。

初めての経験だったので、どういうつもりであのお祭り騒ぎをしていたかも含めて、あの一週間のことを振り返って記録しておきたい。

※以下、職業病で理屈っぽく拡散がどうの…UGCがどうの…と考えてしまっている部分が多いのですが、基本はただただエンデへのパッションを好き勝手話していただけです。本当に楽しい1週間でした。

締め切り約一週間前:達成率約50%

1本目の応援記事を書いた時点(締め切り約2ヶ月前)で18%で心配だったのだが、まぁ知名度のあるエンデだし…と思ってその後は特にプロジェクトの進捗を追っていなかった。

が、締め切り1週間前にそういえばどうなったかなと確認してみたところ、達成率が50%程度しかなくて、さすがにこれは…まずいのではないか!?と勝手に焦り始めた。

そこでとりあえずもう一度応援ついでに…と思い、ちょうど読んでいた『鏡のなかの鏡』で2本目の応援記事を書いてみた。

しかし、このブログはろくにSEO対策も考えていないので、検索エンジンからの流入が乏しい。「きょうのはてなブログ」などでピックアップされない限りは、読者登録してくださってる方にしか届かないブログだ(いつもありがとうございます)。

一応、1本目の投稿後、一度は別の記事で「きょうのはてなブログ」に選んでもらえたのだが、おそらく『影の縫製機』の記事まで回遊してくれた人はほぼいなかったのではないかと思う。

これじゃあ拡散での応援にもなってないよなぁ…と思い。そこで思いついたのが、このブログを開設したあたりから放置していたXのアカウントの存在だった。

応援指針:「UGCでにぎやかす」

拡散応援といえばXでしょう。しかし、放置していたアカウントなのでフォロワーは少ないし、反応率も望めなかった。

そこで私が意識したのは「UGCをたくさん投稿してにぎやかす」ことだった。

Xでバズったクラファンが短期間で超過達成したのは何度か見たことがあったので、とにかくたくさんの人の目に触れること、時流に乗ってる盛り上がり感があることが重要なのかなと思っていた。

とは言え、狙ってXでバズらせるだけのコンテンツ力も発信力も私にはなく。

だから、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる精神で、タグ(#ミヒャエルエンデを語ろう)を勝手に作ってみたりして毎日投稿し、ひたすらエンデの話を楽しくすることにした。

ターゲットと投稿内容の検討:『鏡のなかの鏡』読者を狙いたい

元々発起人さんが主導で作ったクラファン関連UGCタグ(#ミヒャエルエンデと私の好きな本)はあった。そちらはおそらく一緒に紹介されてる本の愛好者に『影の縫製機』への興味を喚起する意図だったかと思う。

私が狙いたかったのは「エンデ全集は全部読んだけど、全集未収録*1の『影の縫製機』は未読」の層だった。
つまり私です。

というのも、まぁ私が欲しいんだから似たような人は欲しいでしょう、というものすごく安易な考えではあるのだが、同時に、いわゆる読書垢の中でエンデの知名度が高くとも、その多くは『はてしない物語』や『モモ』がになっているのだろうという気がしていた。

はてしない物語』『モモ』は児童向けの長編小説で、どちらかというと大人向けな雰囲気・詩作品の『影の縫製機』に直結させるには若干ハードルが高いと感じていた。

だから、特に狙うのは雰囲気が近く、かつ現在でもテキストの入手難易度が低くて、比較的読者が多そうな『鏡のなかの鏡』だと考えた。関連書として、さらに深みに進んだファンのために『闇の考古学』も織り交ぜて。というかどうしても話したくなる。私もどちらかというと『鏡のなかの鏡』『自由の牢獄』のような、大人向けっぽいエンデに沼っているから。

あわせて、『ファンタージエン愚者の王』の話や『エトガー・エンデ画集』の話、『M.エンデが読んだ本』の話も「私の好きな本」タグの方で投稿した。

これらも「エンデ全集はひと通り読んだけど」層がギリギリふれたことがないかもしれないラインのうち、たまたま私が持っている本で、へぇそういう本があるんだ、と興味を引けそうなものだと思う。なかでも『読んだ本』の投稿はクラファン応援の外枠に確実に届いていたようで、70超のいいねがついた。

もちろん、発起人さん方が積極的に関連投稿のリポストや反応をされていたおかげである。私のアカウント単体では拡散力は皆無。

リポストのお手数や圧力ばかりかけてしまったかなぁ…とも思うのですが、投稿頻度をUGCリポストであげる一助ぐらいになっていれば…との思いです。

自分自身"私の好きなミヒャエル・エンデ"を言語化する良い機会だったので、投稿内容に多少加筆してブログにしようと思う。

ヤバそうなクラファンには見せたくない、他の人のUGCに反応する

不成立ならお金が返って来るタイプのプロジェクトだったとはいえ、人間、勝ち馬に乗りたいもの。「こんなに足りてないなら支援してもしなくても一緒か…」と思わせたらまずいと思い。意識したのは"お祭り騒ぎ"だった。

とにかく明るく楽しく深刻にならず、発起人・版元のリポストを通じて見てくれる見知らぬエンデ好きが思わず「自分もこれがこう好き」と語ってくれれば大成功。

「助けてくれ」「このままだとまずい」という言葉が溢れてるより、「本当にいいものなんだよ」という言葉が溢れてる方が、見る側の警戒心を解けるのではないか。

実際、数名の支援者の方がタグを使って語ってくれて、とても良かった。そうそう、とうなずきながらいいねリポストをした。なんならタグがついてない"エンデ"や"鏡のなかの鏡"、その他関連ワードでのパブサで出てきたポストにいいねをしまくっていた。その御縁から支援してくださった方もいてよかった。

何人かの方にはアカウントをフォローいただき、がっつりリプライでエンデの話をしていただいた。あんなにエンデの話(それも鏡のなかの鏡などの作品やエンデの芸術論を!)を誰かとできたのは初めてで、本当に本当に楽しかったです。

自己開示もやっていく

途中で「名刺代わりの小説10選」などのタグを使った。読書垢っぽいやつ。
読書垢にアプローチという意味もあるが、何より傍から見たら私のアカウントの状況って、急に現れて四六時中エンデの話しかしてない謎のアカウントだなぁ…と思ったので。エンデ以外にもこういう本が好きな人間ですよ、怪しくないですよとアピール。

エンデの話をがっつりしたのがやはり楽しく、今後は読書垢っぽくゆるゆる使っていこうと思う。

まとめ

結論、振り返ってみても私がお祭り騒ぎをしたことは特段貢献はしてなかったかな…と思うわけだけど、これで何もせずに不成立だったらショックが大きかったと思うから、効果は別としてとにかく何か動けてよかった。

エンデとの格闘を最近怠けがちだったなぁという反省もあり、改めてエンデに向き合っていきたいとも思えた。

今後の書籍完成が楽しみです。

*1:厳密には、いくつかの詩は『夢のボロ市』や『いたずらっ子の本』の一部として収録されているらしいが、訳が違うのと、当然ビネッテ・シュレーダーの絵がない

ミヒャエル・エンデ『鏡のなかの鏡:迷宮』(丘沢静也訳版、生誕90周年記念/田村都志夫訳版)

先日、復刊クラファンをきっかけにエンデの『影の縫製機』を読んだ。
tsukanoma.hatenablog.jp
読んでいたら『鏡のなかの鏡』に通じるものを感じ、久々に読みたくなったので読み返していた。

実は『鏡のなかの鏡』は合計3冊持っている。
丘沢静也訳の岩波現代文庫版・単行本に加えて、エンデ生誕90周年記念版(2019)の田村都志夫訳。
『鏡のなかの鏡』岩波現代文庫版、丘沢静也版、田村都志夫版の写真
今回、二つの訳版を立て続けに読んでみた。そうすると改めて『影の縫製機』のクラファン成功してほしいなという思いが強くなったので、その応援の気持ちも含めてブログに書いておく。
『鏡のなかの鏡』が好きな人は『影の縫製機』も多分好きだし、逆もしかりなので…。

↓『影の縫製機』クラファンはこちら↓2025年9月30日まで
greenfunding.jp


『鏡のなかの鏡』は、ミヒャエル・エンデの父・エトガー・エンデに捧げられた幻想的な作品。短編連作のようでありつつ、一つひとつの話がイメージやモチーフを歪んだ鏡のように映して緩やかにつながってひとつの大きな「迷宮」を形作っている。

絵と文章の絡み合う有り様は、ビネッテ・シュレーダーとの『影の縫製機』に近しいものがあると思う。エトガーの絵のような、一言では説明ができず、解釈を求めてぐっと覗き込みたくなるような、無性に寂しくなるような世界観が作品全体を貫いている。ちなみにエトガー・エンデ画集も所持していますが、全部合わせて見たことある中でエトガーの一番印象的な絵は鏡〜にも含まれている『ラザロは待っている』かも。

たどり着くことのない楽園、どこでもない場所への郷愁、誰でもないものの夢のはざま。そんなイメージと実験小説的なつくりが好きな人は、きっと『鏡のなかの鏡』が好き。エンデ『はてしない物語』や『モモ』(多分『自由の牢獄』も)に比べるとちょっととっつきにくさがあるかもしれない作品だけども、そこはさすがにエンデなので、個々の”理解”を超えてどんどん読ませるストーリーテリング的な面白さもある。

今回読み返していて、この作品を読むのはまさしく「経験」だなと感じた。よくある「主人公を追体験する」とは違うし、『はてしない物語』の二色刷り・あかがね色装丁のように現実とのリンクを感じるのと近いけどそれともまた少し違う。

『鏡のなかの鏡』を一つ一つのモチーフやイメージをたどりながら読んでいると、章を重ねるごとにイメージが複雑に反射していくようで、まさしく鏡の中の迷宮に迷い込んだような心地になるのだ。前の話が次の話につながっている、というような一方通行的で短いつながりではない。いくつも前の話のイメージが突如として出てきたり、あとになって、あの話のあのイメージはここか、と気づくことがあったり。読んでいるうちに自分こそがその迷宮に囚われているような感覚になってくる。

これはやはり二色刷り・あかがね色装丁の『はてしない物語』の現実とのリンク感とも近いし『はてしない物語』もあれをのめり込むように読むこと自体でファンタージエンを救っている「経験」があるような話なんだけど、それよりももっと直接的というか、取り込まれていくようというか。「体験に圧倒される」と語る作中のホル(ホア)のように、数多の物語のイメージの重積と乱反射に耐えられなくなってくる中で、物語は24章に到達する。

24章は、この迷宮のひとつの「終わり(エンデ)」。22章で放浪をやめた世界旅行者、23章で方向を変えた船乗りと綱渡りの話も象徴的だが、この24章ではまさしく「エンデ」を名乗るパガド(魔術師・手品師)が現れ、「芝居は終わり」「新しい世界を捜すんだ」と言って「ミヒャエル」と名付けられた子供とともに、人の住めない国を旅立ってゆく。そして25章「手に手を取って、二人が道を…」で「郷愁を忘れちゃだめだ」と叫ぶ子供…。このあたりの畳み掛けが一番好き。やがて雨降る教室の人々は黒板から脱出し(26章)、死ぬことのできない独裁者は眠りにつき(28章)、道化は「目覚めることが問題だ」と繰り返す(29章)。そして最後、30章の静かさと寂しさ。読み終わったあとの寂寥感。

読み終わったあとはついもう一周読み返したくなるような構成なのだが、今回は丘沢静也訳(現代文庫)を通しで読んだあと、田村都志夫訳を2周目として読んでみた。そうするとやはり、訳や装丁が違うとまた別の感覚があり、そういった意味でも『影の縫製機』の新装版復刊はぜひ応援したいなぁと思ったのでした。

もともと丘沢訳で何度も何度も読み返している作品なので、丘沢訳に馴染みがある。それもあって読みやすさという点で言うとどちらかというと丘沢訳の方かな…と思うフシがあるんだけど、田村訳でディティールがわかってよかった箇所もあった。(ドイツ語原文は未読です)

例えば10章。「手首に傷を見た」というシーンで、丘沢訳だと「ひっかき傷」と表現されている箇所はなんとなく読み飛ばしてしまっていたけれど、田村訳では「聖痕」だとされていて、あぁなるほど、と思った。エンデが書いてて手首の傷というなら、それは確かに聖痕っぽそう。「ひっかき」という言葉で杭を連想できなかった。8章の「生贄と罪人」(丘沢)と「被害者と被告」(田村)はどうなんだろう、田村のほうが前の流れからすると自然な気はした。

30章で「腹違い」(岡沢)と「種違い」(田村)があったときは、流石に意味がだいぶ違うくない!?とびっくりしてしまった。前後の流れや元になったミノタウロス伝説のことを踏まえると「種違い」が正解のはず。

こういうふうに並べて読むと新たな発見もあって面白かったし、ますますドイツ語の原文が読みたくなった。クラファンの『影の縫製機』は基本はもとの訳のままで、一部だけ改訳があるとのことだけど、なんとドイツ語の原文がついてくるとか。旧版と突き合わせて改訳箇所を眺めてみるのも面白そう。旧版持っている人もクラファン、いかがでしょうか。

生誕90周年版の『鏡のなかの鏡』が出たときもそうだったけど、エンデ没後30年にもなって、エンデ作品の新刊にお金を直接落とせるのがまずありがたい。『影の縫製機』に限らず、エンデの入手しにくくなっている作品類が、岩波現代文庫だったり少年文庫だったり含め、もっと色々気軽に読めるようになるといいなぁとも思います。

↓『影の縫製機』クラファンはこちら↓2025年9月30日まで
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体力をつけたい

今月に入ってから、ずっとサボっていたリングフィットアドベンチャーとフィットボクシングを再開した。
今週のお題「体力」ということで、せっかくなのでブログに書いておく。

昔からとにかく運動が苦手だった。
それでも中学までは徒歩の通学やハードめな吹奏楽部で体を動かしていないこともなかったが、高校では体育の授業だけ程度になり、大学以降はいよいよ運動を全くしないような状態になってしまった。

特に就職をしてからは本当に職場と家の往復しない日が増えてしまい…。運動量が減ることでさらに運動ができなくなっていき、余計動きたくなくなり…という悪い循環に入ってしまっていた。一日中座ってパソコンをいじっている仕事をしていて、首から腰にかけての不穏さを日々感じていた。

流石にまずいな…と思っていたところで、これならどうにかなるかも、と手を出してみたのがリングフィットだった。ちょうどその頃引っ越して一人暮らしを始めたので、誰の目も気にせずドタバタできる&自分専用にSwitch買うか、のタイミングだった。ある意味Switchを買う口実だったとも言う。

いざはじめてみるとこれが結構良くて、大当たりだった。運動は苦手で嫌いだと思っていたが、人の目も気にせず自分のペースで体を動かすのは気持ちが良かった。もともとゲームを始めると一気にクリアしてしまう質なのもあって、結構一気に進めてストーリークリアしてしまえた。

当初は肩こりや腰の不穏さ解消目的が主だったが、太ももや二の腕に若干"筋肉の気配"を感じられるようになってくると、ダイエットもしたい気持ちがむくむくと湧いてきた。実際だいぶ太ってしまっていて、BMI的にもちょっとね…という具合になっていた。

リングフィットだけではなかなか消費カロリーは増えず、運動以外の部分も合わせると時間効率が悪くて(30分ゲームしてても実質的な運動時間は15分くらいしかないとか)、もっとさくっとできるものはないかなと悩んだ結果、フィットボクシング2を追加で買って取り入れた。

痩せるという意味ではフィットボクシングのほうが効果的だったように思う。とにかく余計なものはなく、ひたすら指示されるままに30分くらい動き続けられる。音を聞いている必要もないのでスマホで音楽や動画を流しながら無心にできたのも良かった。ただ、私の場合当初の運動レベルが低すぎたので、先にリングフィットをある程度やってなかったら全然だめだったと思う。両方やって正解。

食事も見直して、時々はサボりつつも半年も経てば目に見えて変化が出ていて嬉しかった。それまでの服が結構ゆるくなったので新しい服を買ってみたり、外見に多少気を使おうという気になったり。

実際に自分に変化が見られたことは自信にもつながった。私は何事もやりきれないことが多くて、やりきったとか、全力を出したとか、成功したとか、そういった経験があまりなかった。そんな中でほぼ目標のラインまで痩せられたのはかなり大きな成功体験だった。

痩せただけではない。筋力が多少つくことで、姿勢を若干マシにできるようになった。そうすると肩や腰の不穏さも減るし、楽器を吹くうえでも体の使い方が少しわかるようになっていた。楽器が下手だなと思うとき、自分の体のコントロールできなさをひしひしと感じていたのだが、それが多少解消された感覚だった。多分筋力がなさすぎて、体をまともに使えてなかったのだと思う。とにもかくにも体力なのだ、と思い知らされた。

身体を全力で使ったダンスやスポーツ、演技や歌を見ていると、ああいうふうに自分の体をコントロールできたらどれほど気持ちがいいのだろう、と憧れる。人間の感情や思考が脳の分泌物に左右されるなら所詮人間は肉体のくびきからは逃れられず、やっぱり結局体力なんじゃないか。

…なんて思うんだけれども、なんだかんだリングフィットもフィットボクシングもここ最近ずっとサボってしまっていた。サボればどんどん体力は落ち、体型は戻っていく。特に7月ごろからは忙しくなったりしてしまってストレスもあって暴飲暴食気味でもあり、かなりマズい、色々と。

5月以降好調だった生活もだいぶ崩壊の瀬戸際にある。ここらで立て直すべく、なにはともあれ体力なのかもしれない。

【放送大学】2025年度1学期の振り返り

今年の4月から放送大学の情報コース全科履修生(3年次編入)をしている。
無事に1学期目を終えたので、備忘録もかねて各科目の感想的なことをまとめておきたい…と8月から思っていたけど結局9月になってしまった。
ちなみに2024年度2学期に科目履修生として履修していた科目も今期にまとめて動画を見ていたので、それも併せて記録しておく。

2024年度2学期

日本語リテラシー

大学を一度卒業しているのでレポートも卒論も書いてきたし、司書課程でも毎週のようにレポートを書いていたわけだけど、とにかくレポートに対する苦手意識が大きかった。
ので、日本語リテラシー・日本語リテラシー演習・日本語アカデミックライティングの3科目は当初から履修する計画だった。

結論、とって正解だった。
内容自体はそれほど目新しくはないんだけど、テキストにまとまっていることで整理して学べたのがよかった。
自分の勉強用はもちろん、職場で新人のテキストにフィードバックをしたりするときにも割と参考になった。
あと放送授業が軽妙で好き。

初歩からの数学

これも当初からとりたかった授業の一つ。
大学受験以来全く数学に触れておらず、今回情報コースに入学する上でかなり不安があった。単純に苦手意識を克服もしたかったし。

内容は全15回で「整数の性質」から「微分積分」までの高校レベル程度の数学を駆け抜ける構成。
テキストは初歩レベル、応用レベルという風にラベル付けされているので、証明などで読んでも???となってしまったらまず一回飛ばしていた。このシステムでなければ多分挫折していた…。
文字と数式だらけでかなり身構えてしまうテキストだけど、根気よく丁寧に読んでいけば理解できる(気がする)。

放送授業が見るべきだった。去年見てないまま試験を受けたのをかなり後悔した…。
先生がひたすら手順を読み上げるだけのような授業かと思いきや、これが意外とわかりやすい。
ただ、もちろんテキスト読んで授業聞いているだけでは数学できるようにはならないので、後述する「演習初歩からの数学」も同じタイミングで履修した方がよかったかも。

情報学へのとびら

情報コース入学に向けて、導入的なつもりでとった基盤科目。
基盤科目と言うことで情報コース以外の学生も対象の概説的な科目だった。

一応ITパスポート・情報セキュリティマネジメント試験は合格していて、基本情報技術者も勉強したことはあったし、仕事でも普段ネット関係に触れているから、概説レベルだったら全然問題なし。
回路の部分だけうわー苦手だ!となってしまったけど、こちらもどうにかなった。
履修しなくてもよかったかも…?とちょっと思わなくもない。導入科目の「初歩からの情報科学」を履修すればよかったのかも。

問題解決の進め方

仕事に役立つかなと思ってとった基盤科目。実際、仕事の新人教育の時に役立っている。
ビジネス書に対して拒否反応示しがちな人間なんだけど、これは結構すんなり受け入れられた。「大学のテキストだから」っていう意識があるからかな…。
社会人の基礎としてみんなこういう考え方共有していると色々スムーズだろうな…と思ったりもした。

テキストの内容も試験も難しいことはなく、箸休め的な感覚でもあった。

身近な統計

この学期でとった中で一番苦戦したかもしれない科目。
「身近な統計」というカジュアルな科目名だし、基盤科目だし、概念の紹介くらいでそんなに難しくないのかな、と思っていたんだけど、とにかく用語がたくさんある!
数字・数学に対する苦手意識が残っている状態でテキストを読み取るには結構抵抗が厳しかった。

講義動画も正直ちょっと見づらくて(声の感じかな…?)見てても話が右から左に抜けていってしまう感じもあり。
後述の「社会調査の基礎」「情報理論とデジタル表現」、あと別で受講していた総務省の「社会人のためのデータサイエンス基礎講座」あたりを併せて見ることで徐々に理解が進んできた感触がある。
数字数学苦手な初学者は、もっと軽い本や動画なんかでうっすら知識を入れつつ挑んだ方がよかったのかもしれない。

AIシステムと人・社会との関係

情報コース入学を決めた一因に昨今のAIブームがあるので、AIに関する話題にも触れておきたいと思ってとった情報コースの総合科目。
総合科目は履修系統図的には最後に履修が推奨されているけど、この科目は「AIと社会のつながりの歴史、活用のされ方を紹介する」的な内容の科目なので、それほど前提知識はいらない印象だった。
特に難しい計算があったりするわけでもない。

AIのことをしっかり段階追って理解しておきたいな、という人にはお勧めだと思う。科目履修で1科目からとってみるのもいいのではないか。

2025年度1学期

今期は前期の放送授業を振り返る必要を感じていたので科目は抑え気味にして、オンラインの演習2科目と放送授業3科目に抑えた。
1日2科目程度動画を見ていたけど、そうすると微妙に曜日が余ったので、気になる科目を聴講もしていた。これができるのがうれしいね。

履修科目

演習初歩からの数学

前期にとった「初歩からの数学」の演習、オンライン科目。
初歩からの数学は15回だったが、こちらは全8回でがっつり練習問題を解いていく構成。
「初歩からの数学」でも諦めてしまっていた三角関数微分積分の理解が進んだのはこの科目のおかげ。少なくとも苦手意識はかなり減った。

毎回の小テスト、これはかなりよかった。放送授業だとついつい演習問題吹っ飛ばしてしまいがちだったんだけど、オンライン科目は絶対やらないといけないので…。

最終レポートは2問程度を途中の展開式つきで解いて提出する内容だった。
Word提出でも可だったが、LaTeXで組み版したものでもよいとのことで、この機会に…と思ってLaTeX組み版を試してみた。
使ったのはCouldLaTeX。なかなか難しくて一つ一つ調べながら作成して、問題を解く数倍時間がかかったが、結構楽しかった。昔HTMLをメモ帳手打ちで個人サイトを作っていたことを思い出したりした。

日本語リテラシー演習

「日本語リテラシー」の演習、オンライン科目。
日本語リテラシーの内容に沿って実際に手を動かしてみる内容。結構課題の提出回数が多かった。
実際にFBをもらえるというのが大変ありがたい授業だった。

提出課題はなかなか100点を取れず…FBで特に指摘書かれてないのに100点取れてないことが多く、基本ができていれば95点、よくできていたら100点なのかな?と勝手に思っている。
最終レポートは「機械翻訳が発達した時代における語学学習の必要性」という感じのテーマで書いた。相変わらずレポートに自信はないけど、前よりは苦手意識は結構減ったような気がする。

日本語アカデミックライティング

「日本語リテラシー」の発展科目。
こちらは「日本語リテラシー演習」と一緒に履修していてよかったなと思う。あわせてアカデミックライティングの演習もできたような感覚。
日本語リテラシーよりもさらに一歩進んで、実際にレポートを書き始めるための科目という印象だった。

かなりまとまっているのと、これは放送大学ならではで各分野のお作法みたいな部分が少しずつ紹介されていたのがよかった。
現役時代の大学でももちろんこういう授業はあったんだけど、学部単位での授業だったから、基本的には人文学の書き方しか習っていなかったので。
大学の初年度教育、これがいいなと思うなどした。

社会調査の基礎

社会と産業コースの導入科目。
私は言語学系でフィールドワークするような領域に近かったんだけど、実はこの手の社会調査法系の授業を受けてこなかった。結構問題だった気がしている。
その喉に挟まった小骨のために履修した科目。

授業受けているとやっぱりこれをきちんと授業受けずに色々やってたのよくないよな…とものすごく反省と申し訳なさが湧き上がってくるような内容であり…。
小骨を多少解消できた。

統計の話も少しふれられていたので、前学期で混乱したまま終わってしまっていた統計学の基礎を確認するにも役立った。

情報理論とデジタル表現

情報コースの導入科目、今期のラスボス。
とにかく数学!テストでも結構計算問題が多かった。

最初は概念の理解だけで必死な感じだったが、図書館から本を借りてきたりしてどうにかくらいついた。
一応ある程度理解はできた…かな…?というところまではいったけど、テスト本番では時間が足りなくて計算が間に合わなかった。相当時間が余っていたほか科目の試験時間を割り当てたいほどで…。
一応自習問題と後悔されている過去問は全部一周解いていたけどそれでは足りなかった。もっと反復が必要だったな。

難しかったけど、「そもそも計算機科学で扱う"情報"とは」みたいな話で、この科目を履修したことにより、AIのことなど含め結構理解の支えが固まったような感覚になれる科目だった。

講義動画のみ聴講

英語で読む大統領演説

英国大統領の名スピーチを読み解く英語の授業。
ドキュメンタリー番組のようで面白かった。
特にトランプ大統領の言動が注目されている状況で、中東の情勢問題もある中で、いろいろと考えさせられることがあった。

大統領演説を聴いていると、これって日本ではあまりない文化だよなぁとも思ったりした。
修辞学にもちょっと興味がある。もっといろいろ勉強してみたい。

英語で「道」を語る

「華道」「弓道」「茶道」などの、「道」と呼ばれる日本文化について英語で書かれた文章を講読していく英語の授業。
こちらは教養番組的だった。テレビを見ているような感覚で流し見ていた。

ミヒャエル・エンデはこういうの好きだったはずよね、とぼんやり思いながら見ていた。
「英語で読む大統領演説」と併せて見ていたのもあって、言葉で明快に語るアメリカの文化、語らぬ日本の文化、というような対比でも見たり。
英語の授業と言うよりは、日本の文化を外と比較してみるような方向でよい授業だった。

韓国語Ⅰ

今期一番楽しかった聴講科目。講師の先生が絶妙なノリでプライベートもほどよく交えつつ話してくれるので、語学番組的で面白かった。
ハングルの発音と口の形のリンクの説明、めちゃくちゃわかりやすかった。
これまでかじりつつ挫折してきた韓国語熱が再燃し、最近Duolingoを継続してやっている。次の学期ではⅡも聴講するつもり。


以上。
もう2025年2学期の履修申請も済ませた。科目数を増やしたのでとりすぎかな…と少し心配ではあるけど、今のところ放送大学の授業内容にはかなり満足している。
あれもこれもとりたくなってしまうので、無理しないようにセーブしつつ、最大限活用して勉強していきたい。

ミヒャエル・エンデ『影の縫製機』(新装版クラファン支援)

先日、Xでたまたま『影の縫製機』新装版復刊クラファンの投稿を見かけた。(翻訳者の酒寄進一氏のアカウントより)
令和に新しくエンデ本が出る……ってこと!?とすぐさま支援。なんだかんだ初めてのクラファン支援かも。
ただ、このブログを書いている時点でまだクラファンの進捗が18%程度でして……支援の意味も込めて、インターネットの片隅ながらブログを書いておこうと思った次第です。

▼クラファンのページはこちら!
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『影の縫製機』はエンデの詩とビネッテ・シュレーダーの絵で構成される詩画集。
邦訳版は2006年に出ているものの、2025年現在は絶版。エンデの詩部分も『エンデ全集』に含まれていない(はず)で、触れる機会は結構少ない。実は私も読んだことがなかった(記憶違いでエンデ全集に含まれていたりしない限りは……どちらにせよ詩画集として読んだことはない)。

ので、今回、図書館で探して借りてきました。



本のサイズは思っていたよりも小さくて、高さは岩波少年文庫よりも少しだけ大きい程度。正方形に近い布張り・箱付の心くすぐられる装丁。
帯によると初回版が青の箱、通常版が茶色の箱らしい。図書館で見つけたこの一冊は初回版かな。
今回のクラファンは新装版になるとのことなのでこのままの復刻ではないのだろうけど、どういう風になるのか楽しみ。

久々にエンデの詩作品を読んだ。あ~この感じ、とすごくしっくりきて嬉しくなっちゃった。シュレーダーの絵もエンデの詩との相性がめちゃくちゃ良く、満足感が高い一冊だった。
雰囲気としては『自由の牢獄』が近いかも知れない。詩版の『自由の牢獄』的な。絵と文章の融合と言う意味では『鏡のなかの鏡』っぽくもあるのかも。つまりはとにかく「私の好みのエンデ」でしたということなのですが。

『自由の牢獄』みを一番強く感じたのは「道標」という詩。タイトルでまず『自由の牢獄』の「道標の伝説」を連想したのはそうだけど、内容的にも近しいものを感じた。「行くべき道を教えてくれるけど、自身は永遠に指し示す先にたどり着けないもの」。エンデの中の"道標"はやはりそういうものなんだなぁと思った。

「夢の漁師」は『はてしない物語』のミンロウド抗を連想した。幻想的な雰囲気でとても好き。『鏡のなかの鏡』っぽさを感じたのはこの詩が一番(多分『闇の考古学』のことも思い出しているから)。

全体を通して特に印象的だったのは「綱渡り」。己の芸をきわめた結果、宙を渡り続ける男のお話。箱の絵はこの詩のもののようだ。同じくふっと消えてしまう「透明人間」「消えゆく淑女」などと合わせて、静かな寂しさを感じた。

詩の中には正直よく分からないものもある。はげねこの詩と俳句?はよくわからなかった……。はげねこについては、作品全体として「みえないもの」とか「存在」とかが共通しているのかな、と思うのでその関連なのかなと思うんだけど。俳句はハルピュイアあたりと同じ発想なのかな……?怪物的なもの?

こういった"よくわからなさ"は、もしかして原文を読んだら理解できるのでは……?と思ったりもする。そもそも詩作品なので、散文以上に「原文だとどうなってるんだろう?」と思うところが多い。最大限原文の雰囲気を残してくださっている訳だとは感じるものの、それはそれとしてやっぱり原文も読みたい。
そんな思いにもぴったりなのが今回のクラファン。なんとドイツ語原文つきになるのだとか。絶対ほしい。

▼絶対にほしいので、もう一度クラファンのリンクをはっておきます。どうぞよろしくお願いいたします。
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