たまたまこのタイトルで日記を書こうとしたら、
今週のお題「最近捨てたもの」
らしいので、なんだかタイムリーだなと思いつつお題記事として書いてみる。
5月、部屋の大掃除をした。
もともと部屋の片付けが苦手で、ほとんど常にゴミ屋敷予備軍みたいな部屋で生活している。机と椅子とアイロン台の上にはものが溢れてて使用不可能だし、ベッドの半分くらいは本が占拠してたりするし、床にはありとあらゆるものが散乱していて、ありとあらゆる引き出しが半開きだったりする。台所もいつ食中毒するかわからんな笑とか言っているが全くもって笑い事ではない。
いつも片付けなきゃなあ掃除しなきゃなあ…。と思いつつ大型連休の時でもついつい後回しにしてしまうけど、今回はなんだか調子がよくて、かなり集中的に片付けられた。今、ものすごく快適です。玄関からベランダまで全くものを避けずに歩けるってこんなに楽なんだ。このブログも片付いた机で椅子に座って書いてる。
片付けるきっかけは部屋のエアコンの不調だった。リモコンがうまくきかなくなっていて、症状からリモコンの故障なのか本体の問題なのか判断がつかず、本格的に夏になる前に一度点検に来て貰うことにした。
人を家に上げるとなると、さすがに部屋を片付けなければならない。これまでも消防点検やらなんやらの度に取り繕っては来たけれど、だいたい「見えないところに全部押し込む」みたいなその場しのぎをしていた。でも、今回はそれをしないようにしようと思っていた。なんでだろう。大型連休で余裕があったというのもあるかもしれないが、4月から放送大学を予定どおりに進められているという自信もあったのかも。もしかしたら大きいのは、座椅子が壊れたことかもしれない。
この間記事にも書いたコレ。
tsukanoma.hatenablog.jp
上の記事でも書いたように、この座椅子には結構思い入れがあった。合わせて書いたT90Chiもそう。思い入れのあるこれらをえいやっと手放したのが本格的にひとつの区切りだったように思う。
思い入れがあるものを捨てるのは本当に大変だった。座椅子は粗大ゴミ回収日当日まで本当に捨てるのか悩んでいたし、T90Chiも手放しがたくて悪あがきしようかどうしようか結構真剣に悩んだ。でも、捨ててみたらどっちも思いのほかあっさりしてて、「処分した方が良い」と分かっていながら手放せなかったころのモヤモヤも一緒に消えていた。
そこからはもうバンバン捨てた。いらない電子機器はリサイクルショップに持って行って多少のお金にし、そのお金でモニターをリサイクルショップで買ったりもした。これで今使っているノートPCのハード面にガタが来ている問題を多少解決できた。大型連休の一週間、毎日何かしらの種類のゴミを捨てた。座椅子を捨てたことで床にスペースができ、そこにものを広げて選別できたので片付けも効率が上がった。未練たらしくとっておいていた公務員試験の問題集も捨てた。
後生大事に持っていたものの大半は、学生時代のアパートから実家に戻ったときに荷造りして、そのまま今のアパートに引っ越してきたものだった。つまり、引っ越しを2回しても捨てられてなかったものたち。超ボロボロの古い充電ケーブルだとか、なんでこんなものまで捨てられなかったんだろう?と思うようなものもあったりした。これらに関しては捨てられなかったと言うより、そこに至るまで片付けの気力を保てない状態が学生時代以来続いていたという感じ。本当に今回は自分でもびっくりするほど気力があった。
明らかにゴミとわかるものは簡単に捨てられるけど、思い入れが多少なりとあるものはやっぱり捨てがたい。今回も、学生時代の大量のレジュメの山を見なかったことにしている。読み返すことは多分無いし、絶対いらない紙も混じってるし、せめて整理整頓するべきなんだけど。他にも旅行のお土産で買ってきたようなちょっとした小物とか。使わないけどディスプレイしたいものたち。
生きていけばいくほど、この調子で捨てられないものが増えていく。でも全部を抱えていけるほど部屋は広くないし、私には随時整理整頓するだけの甲斐性がない。適切に保管されず、グチャグチャにして存在を忘れ去ってしまうくらいなら、それは"保存"ではないし、持っている意味は多分無い。
私は変わることが怖かった。そこにはいろんな要因があるんだろうけど、"今まで"を捨てることのように思えたからでもある。
でも流石にアラサーと呼ばれる年まで生きてきて、抱えきれないモノも、私を置いてけぼりにして変わっていくモノも増えてきた。私がどれだけ抱え込んでいたって、どうしようもなく変わっていくしかないことがある。ここ2,3年、司書課程を始めてからの変化は、なかなか心地よいモノでもあった。そこで少し変わった今だから、ここまで掃除ができたのかもしれない。
色々と捨てよう。全部は捨てなくて良い。座椅子やT90Chiのように、思い入れは記録でも残る。デジタルデータの保存と管理についてはまた別で考える必要があるけれど。
そして、モノを捨てて広くなった部屋で、私は今月かなり理想的なルーチンの生活をしている。元が結構ギリギリだったともいう。
朝起きて、30分以内でベッドから出られるようになった。
片付いた座卓で、発掘したカクノで15分ほど写本をしている。
6時半からは広い床で軽くラジオ体操。
朝食を家で食べている。歯磨きまで出来る。
ある程度の化粧をしてから家を出られるようになった。
英語多読もゆっくりだけど再開した。
昼休みには放送大学のテキストを1章ずつ読んでいる。図書館の本も時々。
食器をため込まなくなった。
毎日髪を洗ってきちっと乾かしている。
放送大学の放送授業ノルマをきちんとこなし、通信指導も期限よりかなりはやく提出した。
週末は楽器の練習を続けられているし、用事が出来て出かける腰も軽くなった。
ただ、結構キツキツの感はあるので、きっちりしすぎないようにしないとな、という自戒はもっている。今日はこの記事を書くのに大変夜更かしをしてしまっているので明日がすでに心配である。
部屋も、いつまでこの状態を保てるかは定かではない。本棚とクローゼットと台所はエアコン点検の後にしようと放置してしまっているし。でも少なくとも約1ヶ月は持っているので、この調子で健やかに過ごしていきたい。