つかのま。

読書と日々考えたこと

【長野旅行:5泊6日】~2・3泊目:黒姫童話館とエンデキャンプ2026~

初日:いざ黒姫へ

長野旅行2日目。いよいよエンデキャンプ参加のため黒姫へ向かう。

ちょっと天気が悪いなぁ、と思いながら改札を通った…その時。

「北しなの線は運休です」

…!?

なんと、乗る予定だった黒姫行きの電車が大雨のため運休になってしまったのだった。

優雅に時間つぶしせず、早めの電車タクシーで行くべきだったのか!?と軽くパニックになっているところで、エンデキャンプの実行委員の方々と黒姫高原ホテルのお計らいでホテルの送迎バスで直接黒姫童話館まで行けることになった。一安心。


本当は童話館の喫茶「時間どろぼう」でお昼を食べるつもりだったのが、予定変わって長野駅でポムの樹へ。沖縄にはないですからね。


そして、無事に黒姫童話館に到着!着く頃には雨も止んでいた。

いよいよエンデキャンプのプログラム開始。
思っていたよりも参加者が多く、かなり緊張。

アウリンを模した名札にはイベント中にやりたいこと・テーマを書くことになった。

私が書いたのは『ファンタージエンへのお散歩』。これは『ファンタージエン:愚者の王』の訳者あとがきで著者キンケルがこの作品を「ファンタージエンへの遠足」と表現したことを念頭に置いていて、エンデの作品を読みつつ、ちょっと創作もできたらいいな、とそんな感じで選んだ。

自己紹介はモモの円形劇場をモチーフにした広場にて。初参加の方、何度か参加してる方、エンデはあまり詳しくないという方からエンデをテーマに卒論を書いてる方まで!各地から様々な参加者が集まっていて楽しみになる。子どもたちもたくさん参加していて微笑ましかった。

初日は自己紹介のあと、さっそく黒姫童話館の館内散策へ。10年前の記憶とあまり変わってなくて懐かしかった。展示を見ながら、今回はコレアンダー氏の古書店の絵に書いてある文字を全部メモろう、と心に誓う。

エンデキャンプ中の宿泊は童話館からほど近い黒姫高原ホテル。初日の夜はバーベキューとスウェーデントーチを囲んでの懇親会があった。


スウェーデントーチの会場、ちょっとだけエトガー・エンデの絵の雰囲気がある(?)父子展図録の表紙になってる椅子の絵…

バーベキューの場では色々とお話できて、ようやくちょっとずつ緊張が解けてきた。話すのが苦手なので泊まり込みのイベントはとにかく不安だったのだが、どうにかなりそう…と思い始める。バーベキューに参加されていた酒寄先生ともお話できてうれしかった。今回参加できたのは『影の縫製機』クラファンのおかげであり、クラファンを知ったのは酒寄先生のXをフォローしていたおかげなのです。

スウェーデントーチでは、エンデの作品一節を披露し合うミニ朗読会。

何を読もうかずっと迷っていたんだけど、最終的にはメモ箱の「愛読者への四四の問い」から、「ゲーテが親しく呼びかけた月と、あの二人の宇宙飛行士が歩きまわった、泥や埃から成る塊は同じ一つの天体でしょうか?」を選んだ。

「四四の問い」について考えるの自体が好きなのと、その中でもこの問いは結構印象的で。私は親が理科教員だったのもあって科学的な方向性での宇宙へのロマンも抱えており、詩的に表現される月と「泥や埃からなる塊」が同じ天体であることにより一層のロマンを感じていたりするのだった。エンデとはちょっと意見が違うかもなと思っている問いの一つ。

2日目:森とエンデを知る日

明くる2日目。
黒姫高原ホテルの朝食で1日が始まる。普段はビジネスホテル素泊まりばかりなのでこんなにしっかりゆっくり朝ごはんを食べるのはレア。この席でもたくさんお話もできた。

この日のプログラムはまずは黒姫童話館そばの森の散策から。

足元が不確かめな人間なので(旅行3日目でそこそこ足腰ダメージも蓄積しつつあるし…)ちょっと心配だったけど、歩きやすく整備された森で気にしすぎず歩けた。


鉄分たっぷりの川の水を飲んでみたり、冷たい水に足を浸してみたり、葉っぱを食べたり、嗅いだり、どんぐり笛が鳴らなかったり。ガイドの方に案内されながら普段はできないような体験がたくさんできた。

森の散策のあとは自由時間ということで、童話館の文学資料室へ。展示されている以外の所蔵資料も閲覧させていただけるとのことで、まずは所蔵リストをチェック。

今回は、直前に全集読み直しで『夢のボロ市』を読んでいたので、『夢のボロ市』に収録されていない手書きの楽譜がないかな?というのが仮の探索目標だった。ドイツ語がまだまだなので大概の資料は読めないが、楽譜なら読めるから…というのもある。結論、この目標は達成できなかったのだが、関連して面白い資料を見つけたのでそれはまた後ほど紹介します。


おいしいお弁当を食べたあとは酒寄進一先生の公開講座『ドイツ・ファンタジーの系譜 〜エンデへ、そしてエンデから〜』。

ドイツ語ファンタジー文学の流れのなかでエンデをとらえるという内容で、大学時代に1科目だけとっていたドイツ文学の授業とも重なるところがあった。エンデを起点に色々とドイツ文学をもっと読みたい。

戦後のドイツ文学について『自分たちは何だったのか』という反省から始まった、というのが印象的だった。その流れでプロイスラーが戦争の喪失感と紐付けて紹介されていて、なんとなく自分のなかでつながった感じがした。プロイスラーもたくさん読んでいるわけでも最近読み返したわけでもないから本当になんとなくなんだけど、『クラバート』を読んだときのあのなんともいえない手応えが。

"喪失感"と聞いて私がエンデ作品で真っ先に思い出したのは「遠い旅路の目的地」や「道しるべの伝説」などで描かれる"郷愁"だった。私はこの"郷愁"になぜだか惹かれて『自由の牢獄』が好きだったりする。それ以外の作品でも時々出てくるテーマだという印象があるから"郷愁"を軸に整理してみるのも面白いかもしれない、とふと思った。

イギリスはハイファンタジー傾向、ドイツはローファンタジー傾向、という話の流れを受けて、エンデ作品における(ファンタジー的な異世界への)"越境"についての質疑応答も印象的だった。内だったものが外になり、外だったものが内になり…ともはや内外を問うのがナンセンス、という感覚なのではないか。とのこと。「道しるべの伝説」を踏まえての質疑だったけど、「遠い旅路の目的地」でシリルが探したから目的地があるのだ、という話や、『はてしない物語』での無限の入れ子構造なども思い出していた。

講演会のあとには、エンデキャンプのプログラムとしては「暴風雨ごっこ」が予定されていたが、私はここには参加せず、他数名の方と一緒にエンデの音声資料を見せていただいた。エンデの肉声インタビューや朗読に日本語字幕が付いたもので、子どもたちの質問に答えるときの楽しそうな声や、自作を朗読するときのリズム感が知れた。エンデ自身の理想の原点は「市井の語り部が語り継げる」ような物語なのだろうから、その声での朗読を聞けたのはとても良かった。

そしてこの日のうちに、童話館土産として本3冊と『童話の森通信』を購入。

ドイツ語版『モモ』は確実にあるだろうから買うつもりだったけど、それ以外にもドイツ語版の絵本も結構あった。どれを買おうか迷ったあげく、『魔法の学校』を選択。いろんな話がまとまっていて一番お得だからです。ロドリゴ〜は前々から買おうと思っていて買いそびれてたので、この機会に。

『童話の森通信』には童話館に所蔵されているエンデ資料のリストがある。エンデのオタクは絶対買おう。

この日の夕食もホテルで。

普段はビジネスホテル素泊まりばかりなので(以下略)
宿泊中どの食事も量もたっぷりで美味しくて、部屋も広くて、久々に豪華な旅行をしたなぁ、という感があります。

夕食の後はバーで交流、の予定だったが、急遽、エンデ研究者の石田喜敬先生のもとにお邪魔してお話を聞く機会をいただけることになった。参加者の中にエンデを題材に卒論を書いている方がいらっしゃり、石田先生への相談について行かせてもらえることになったのだ。

お邪魔にならないように聞いているだけ…のつもりだったが、楽しくてついつい色々と口を挟んでしまった。邪魔になっていなければ良いのですが…。ちょうど直前に『ものがたりの余白』で読んだな、と思う話があったり。『はてしない物語』と「遠い旅路の目的地」「道しるべの伝説」の関係性についてだったり。このあと久々に『ファンタージエン』を読み返したいなと思っているので、その時にまた書くかも。繋がってくる話なので。

お話をしたあと、「理想郷」の話も少ししたりして。とても良い夜だった。

バーに行くには眠すぎて、その日はそのまま眠ってしまった。黒姫高原ホテル、設備の各所の名称が北欧神話由来だったのでそれも楽しかったしクラブ「フリッガ」行きたかったのですが…。

3日目:持ち帰るもの

あっという間に3日目。
この日もホテルでゆったりと朝食。

この日は自由時間からスタートした。私は文学資料室へ。前日に見つけたとある資料のメモをできるだけ取るためだった。

見つけた資料というのは『夢のボロ市』の楽譜。
とは言っても当初の目的だった『夢のボロ市』未収録の手稿譜ではなく、エンデ宛に送られてきた日本人作曲家の作品だった。

三輪眞弘 ハープとコンピューターのための『夢のガラクタ市』(1990)

まずは日本人作曲家がエンデ作品にインスピレーションを受けて曲を作っていたんだ!というのが一つの発見、そしてまさかの「ハープとコンピューターのための」で驚き。

1990年の初演(ハープ:長澤真澄)に際して、エンデ宛に確認のメールを送っていたようで、そのメールと添付の楽譜が資料として残っていたのだった。

その後調べた限りでは何度か再演されていて、CD『赤ずきんちゃん伴奏器』に録音が収録されてもいるとのこと。知らなかった。

メールによると、ハープ奏者がハープを弾きながら、歌い、フットスイッチでコンピューターを操作するらしい。どんな曲なんだ…?添付されていた楽譜からは細かいところまでは読み取れず、実際に演奏が聴いてみたくなった。

エンデ自身が関わったメディアミックスというわけではないが、このメール資料が黒姫にあって、無事に楽曲が発表されているということは、エンデは許可を出したのだろう。エンデはどういう気持ちだったんだろう?と思いを馳せながらメロディの一節だけを書き写した。

お昼前には参加者同士の1 on 1で語らう時間が設けられていた。
私もお話したいとひそかに思っていた方とペアを組ませていただき、じっくりとお話ができた。

今回のエンデキャンプはどちらかというとエンデ作品は『モモ』『はてしない物語』が好きで、という方が多く、私はせっせと『自由の牢獄』『鏡のなかの鏡』などそれ以外の作品の面白さを布教する人になっていたのだが、ペアになってくださったのは『ジム・ボタン』が好きで『自由の牢獄』『鏡のなかの鏡』も読んだことがある、という方。

普段なかなか周囲にエンデを読んでいる人がおらず、ましてや『モモ』『はてしない物語』"以外"となると全然話ができなかったので、あんなにたくさん話せて嬉しかったです。エンデ以外の児童文学のお話も色々とできた。

お昼のあとは、ホールに集まって3日間の体験をシェアする会。
感想はもちろん、見つけた詩の朗読をする人や、自作の物語や歌を歌う人など、思い思いの形で発表された。

私は『夢のガラクタ市』の一節を鼻歌で歌った。実際の演奏はどういう風だったのかはわからないが、他者の解釈を通じてエンデに触れるのもいいな、と思えた。

高校の図書館でエンデ全集を読んでいた私は、大学受験の志望校探しの時にドイツ文学を専攻することも考えていた。

しかし全集を読んでいたが故に、「エンデを研究するのってどうなんだろう」と尻込みしてしまった。だってエンデも「カフカが言わんとしていることが、評論家たちが言うようなことなら、なぜカフカは最初からそう書かなかったのですか?」みたいなことを言っているし…。

そんなこんなで変に萎縮してしまった私はドイツ文学を選ばず、あえて解説書の類も読まずにここまで一人でエンデを読んできた。児童文学作家としてだけ語られるのにも、啓蒙思想家のように語られるのも、スピリチュアルな方向に引きずられすぎるのも、なんだかちょっとなぁと思ったりして変に身構えて。私はエンデのフォロワーになりたいのでも、エンデを私のグルにしたいのでもなかった。

しかし今回、いろんなバックグラウンドを持つ方とエンデの話をしてみて、当たり前なんだけど「自由に読んでいいんだな」と思えた。私がしたかったのは「エンデとの対話」だったのだと。エンデはもう亡くなっているから直接的には無理なんだけど、作品や対談集を通してそれがしたくてずっと読んできたのだった。でもひとりで読むだけではなく、いろんな人と話してみることで、より「対話」につながるのだと感じた。


そして名残惜しくもエンデキャンプのプログラムは終わり、黒姫駅までの送迎バスを待つ時間が少しだけあった。

その隙に、私は再びエンデの展示室へ。初日にやり残していた「コレアンダー氏の古書店の絵の書名を写す」をやり遂げるため。今回は目的を絞っていたので集中してかなり写せた。小さい手書き文字で読みにくい部分もあるのだが、酒寄先生の講座も踏まえると類推で読める名前が増えたりしていた。日本語だと『源氏物語』や『宮沢賢治』の文字があるのだが、今回地味に気がついたこととしては『鏡のなかの鏡』が原題の"Spiegel im Spiegel"とは別であるな、ということと、テーブルの上に『エンデ〇〇』と書かれた本があること。『エンデ全集』…?でも日本語版全集の出版って96年からだしな、ちょっと謎が深まったりした。

ひと通り写し終わった頃には、もうバスが出る時間だった。

さよなら、黒姫童話館!
また行きます!

【長野旅行:5泊6日】~1泊目:善光寺のお戒壇巡りとお朝事~

先日、ちょっと長めの長野旅行をしてきた。
信濃町の黒姫で開催された『エンデキャンプ2026』に参加するため。
douwakan.com

昨年の『影の縫製機』クラウドファンディングをきっかけにイベントの存在を知り、ぜひ参加したい!と半年以上楽しみにしてきた。

しかし、一番の問題は「黒姫はめちゃくちゃ遠い」ということ。

沖縄からは羽田まで飛行機で向かい、東京から新幹線で長野駅、さらに本数が少ない北しなの線で黒姫駅まで。黒姫駅から黒姫童話館までもそこそこ距離があり、自力で行くならタクシーに乗る必要がある。

どんなに急いでも初日のプログラムに間に合いそうになかったので、フルで参加するためには前泊・後泊が必要だった。

それならいっそついでに長野旅行をするか…?元々長野は色々行きたい場所があるし…ともったいない精神が湧き上がり、気づけば予定は5泊6日まで肥大化してしまっていた。

ここまで仕事を休んで大丈夫なのか…?という一抹の不安も抱えつつ、前日までバタバタしているうちに出発日はやってきた。

出発日は朝一番の飛行機で羽田へ。空港行きのバスもまだ動いていないため、タクシーと朝イチのゆいレールを乗り継いでいく。前日バタバタ荷造りをしていたので4時間睡眠である。

今回の旅のお供はもちろんエンデ。行きの飛行機では電子の少年文庫版『モモ』を読んでいた。

エンデキャンプ前に全集を読みなおすぞと張り切っていたものの、結局5冊くらいしか読み終わっていなかった。明らかに寝不足だったので寝てしまうかなと思いきや、以外と目は覚めていて結構読み進められた。

羽田に着いたら東京駅へ。前回の岩手旅行にならって駅弁を買おうとして、しっかり迷子になった。一回乗り換え口を通ってしまって慌てて戻るなどした。

今回の駅弁は唯一見つけられた信州枠で山賊焼き。にんにくは許されるのか?と買ってからハラハラしましたがそこまでキツくなかったので多分許されました。


食べ終わってモモの続きを読んでいたらあっという間に長野駅についていた。

東京駅から1時間半ほどだから、全然近いんだなぁとびっくりしてしまった。10年前はつくばから青春18きっぷでよりによってバイト上がりの午後出発しており、よくもまぁ新幹線も特急もなしで行ったな…と感慨深くなった。大月あたりで大いに後悔していた記憶があります。もう流石にあんな旅行はできない。

もう時刻は14時前。ホテルにチェックインするのは微妙に早いので、荷物をロッカーに預けて善光寺へ向かう。徒歩30分くらいとのことで参道を歩いていくことにした。

これは道中で見つけた「小川の庄」の野沢菜おやき。

囲炉裏で温めてもらえる。もっちりした皮にほどよい塩気の野沢菜がぎっしり!そこそこ量の弁当を食べたあとでもぺろっといってしまった。昼食べずにここでおやき2個とかにしたほうがよかったかもしれない。

表参道は落ち着いたおしゃれな感じの道が続く。駅側はそこまで観光地化しているという風でもなく、ちょうど良い具合に"生活"がある感じというか。善光寺に近づくほど観光客の姿も増えてくるんだけど、生活の中にある、という感覚だった。


雨がちらつき始めた中、善光寺に到着。さっそく全部入りの拝観セット券を買って山門に登った。


想像以上の急階段にビビりつつ、膝に不穏さを感じつつ…。ここに限らず古い建物の階段って毎回急すぎて怖いんだけど、普通に生活の中で上り下りしてたと思うと信じられない気持ちになる。

2階には四国八十八箇所の分身仏が。四国に行ったなぁと思いながら眺めると、全然遠いのにつながりを感じて感慨深かった。全然お寺行かなかったのもったいないな。屋島寺だけ。せっかく鳴門では車も借りていたのに、と思いつつ、まぁここで全部参ったということで…と心のなかで手を合わせておく。

次はいよいよ本堂へ。お参りをしてからお戒壇巡りに向かった。

たまたま前後に人がまばらなタイミングで、回廊のなかには私一人だった。

暗い。自分以外の物音もしない。目を開けているのに何も見えなくて、まばたきをするとまぶたの裏がむしろ明るく感じる。思わず前に伸ばした手すら見えない。

本当に縋るような気持ちで壁を伝い歩く。歩くうちに自分が何度角を曲がったかも分からなくなった。

やがて手元に何かがあたった。何も見えないなかで少しひんやりとしたそれを撫でる。

善光寺の本尊は絶対秘仏だから写真すらなく、その存在を確かめることはできない。過去に火災で本堂が焼失したりもしている。今もこの手元の錠前の先に、真上に、本当にご本尊が実体として存在するのかは確かめようがない。

それでも、なんというか。「あると思えばある」というか、物質的なところを飛び越えて、見えないなにかと繋がろうとしてきた感覚がわかるようだった。


お戒壇巡りを終えて史料館へ。途中には御開帳で建てられた回向柱が並べられてた。

こうやって野ざらしにされて朽ちていくままにされているのも良い。

史料館には古くから奉納されてきた絵馬がたくさん展示されていた。歩けなかった人が善光寺参りをしたら歩けるようになった、目が見えるようになった、幽霊の妻とお参りができた…など、奇跡的なご利益に感謝するエピソードが多数紹介されていた。

もう一つ印象的だったのが百羅漢像。手作り感あふれる個性的な羅漢像で、一人ひとり全然表情が違う。楽しみながら作ったんじゃないかなと思えた。

史料館を出て経蔵へ。輪蔵を回すと一切経の功徳が…とのことだが、一人で回そうとすると全くびくともしなかった。ちょっと困っていたところ、同じタイミングで経蔵にいた外国人観光客のカップルが一緒に回してくれて、無事に一周回せたのだった。

一通り見終えた頃にはもう17時前。

仲見世通りの信州りんご菓子工房BENI-BENIでりんごソフトを買い食い。アップルパイも買おうか迷ったんだけど流石に食べ過ぎなきがして自制。

一度長野駅まで歩いて戻って、荷物を回収して宿へ。今回の長野1泊目はMsh Cafe & Bed NAGANO。1階がカフェ兼コワーキングスペースになっているドミトリータイプのお宿。

夜はカフェでピザとワインでも…と思っていた…のですが。

この日は「餃子とクラフトビールの日」とのことで、食事は餃子一択だった。実は前日の昼も餃子定食を食べていたのですが…。おいしかったです。

本を読みながらクラフトビールも2杯ほど。無事にモモを最後まで読み切ってこの日は終わった。


翌朝は5時に起きて再び善光寺に向かった。目的はもちろんお朝事。


無事に間に合ってお数珠頂戴にも参加できた。

信心深い仏教徒というわけではまったくなく、宗教は?と聞かれれば沖縄式の先祖崇拝ですというのが一番しっくりくるような人間なのだが、近頃親戚の法事に参加する機会が増えてくるに連れて色々考えるようになってきている。一生に一度は善光寺参り…の気持ちで、色々と考えながらお参りをした。

そして最後に御朱印もゲット。これまであちこち旅行しても御朱印集めはしてこなかったのだが、今回は旅の後半で御朱印集めをするのが確定していたので、せっかくなら善光寺でも貰っておこうと思い立ち、実は昨日の帰りに道沿いの文具屋さんで見つけた御朱印帳を購入していたのだった。


帰り道で「駒返り橋」を確認。今回の源平旅ポイントです。

駅までの道中には頼朝が開基だというお寺もあった。

宿をチェックアウトして、朝ごはんを求めて長野駅へ。

この日の朝ごはんは長野駅で朝からやってる立ち食いそばのナカジマ会館。おいしかったです。

そのあとしばらくスタバなどにも寄りつつ時間を潰す。旅のお供で『はてしない物語』と『自由の牢獄』を読み始めていた。

ミヒャエル・エンデ『ジム・ボタンの機関車大旅行』『ジム・ボタンと13人の海賊』(エンデ全集)

「エンデ全集を読み返そう」企画第一弾、まずはやっぱりジム・ボタン。

おそらく読み返すのは前回全集を通読したとき以来で、つまりは10年以上ぶり。細かいところはかなり記憶が薄れていて、ハラハラドキドキしながら一気に読んでしまった。

『ジム・ボタン』は『はてしない物語』や『モモ』よりも対象年齢が低めな印象で、かなりサクサク読める。『機関車大旅行』と『13人の海賊』をあわせると700ページ近くあるのでボリュームとしては『はてしない物語』並なはずなんだけど、その重さを感じず勢いよく一気に読めてしまう。1章1章が短く、一つの問題がその章の間で解決するようなテンポの良さのおかげでもあるのかもしれない。それでいて最終的には全部が繋がって丸く収まるような流れで、お話がうますぎる…と感嘆していた(何目線??)。この1章1章の区切りの良さは、寝る前の読み聞かせなんかで1日1章ずつ読むのも良さそうだなと思った。ハラハラする場面は何カ所もあるんだけど、基本的には明るくて、読後感がすごくいい。読み終わった後に、明日はきっといい日になるなと思えるような物語。

『ジム・ボタン』の舞台かなりデフォルメされメルヘンチックながら、同じ世界上にはドイツ、インド、中国やアメリカが存在し、読者の手紙も届く地続きの世界だ。人魚や竜がいたりするし宝石みたいな木が立っていたりするけれど、機関車(感情があるし子どもが生まれたりもするが)も走るし電話もある。このファンタジーと"地続き感"のバランスが面白くて、かなり好み。同じようなバランス感覚を岡田淳作品に感じている節があるかもしれない。

キャラクターもみんな魅力的だ。悪役たちも含めておのおのの結末も明るくて、すごく前向きになれる。個人的な一番お気に入りはピン・ポン。各登場人物たちの物語をもっともっと読みたいなと思う感覚は『はてしない物語』の"別の物語"が気になってしまうのと同じ。

今回読み返してみて印象的だったのがトゥー・トゥーさんの話とネーポムクの話だった。こんなにストレートに差別と偏見の話だったのか、と。本当は普通の人どころか相当いい人なのに「見かけ巨人」が故に誤解されて孤独なトゥー・トゥーさん、本物の竜たちから疎外されているからこそ本物の竜のように振る舞おうとするネーポムク。このふたりがそれぞれ良い結末を迎えるのも嬉しい。

なお、『機関車大旅行』の解説には『13人の海賊』のネタバレががっつりしっかり書かれているので、万が一初見の人が読む場合は2巻まとめて読み終わってから解説を読もう!!私は久々すぎて『13人の海賊』の記憶を大分忘れていたのに、ここですべて思い出しました。「全集で読んでいる人間は初見な訳がない」という思想なんだろうか…。むしろ『13人の海賊』の方の解説にはストーリーの展開に踏み込む話はそれほど多くない。

解説で何度もリンドグレーンに触れられていて、読みたくなった。『長くつ下のピッピ』は多分小学生の頃に一度読んだ記憶があるんだけど、ここ数年『ミオよ、わたしのミオ』が気になる機会が何度かあったりして。いよいよ読まなければならない気がしている。最近出た岩波単行本の表紙が酒井駒子なんだよね。

解説内容についてかみ砕いたり言語化しておきたい気持ちもあったりするけれど、そのあたりは対談集系を読み進めたときにまとめて書くかな、というところ。せっかくラスト・トークつきをそろえたけれどラスト・トーク順には読まないからあとで読むのちょっと大変そうで、結局『ものがたりの余白』で確認する気がしている。

ペーター・ボカリウス『ミヒャエル・エンデ:物語の始まり』

先日、長崎出版版『影の縫製機』を図書館に借りに行ったとき、たまたま近くにあったので借りてきた。

ミヒャエル・エンデが『ジム・ボタン』で児童文学作家デビューするまでの前半生を、友人のペーター・ボカリウスがまとめた伝記。生き生きとした描写でこの本自体が物語のような感覚で読めた。

ボカリウスはジャーナリストであり、エンデの人生を追うだけでなく、その時々の取り巻く世界の様子を新聞の引用などで重ねていくのが印象的だった。そのおかげでより立体的にイメージできる。

エンデの幼少期の経験や触れてきた思想、描かれる人物像を見ていると、エンデ作品の雰囲気の背景に納得がいくようで面白い。あちこちで断片的に触れられていて情報としては知っていたことも多かったけど、こうやって一本の物語のように読むと整理がついてわかりやすい。人間だなぁ…と思うエピソード多数。

この本を読んで受けるエンデの印象は、『自由の牢獄』の各主人公たちみたいだな、と思ったりした。『自由の牢獄』が好きだからそう思うだけかもしれないけど。女性を不幸にしながらの"危機の時代"はシリルの面影を垣間見た気がしたりした。これからエンデ全集を読み返していくにあたって、より違う角度で読めるんだろうなと感じる。

エンデが影響をうけた思想や文学などについてもあれこれ触れられているので、できるだけ追っていきたい。読んだことがあるタイトルが出てくるとちょっとだけ嬉しくて、実績解除していきたいね。サルトルとか、読もう。

来年の夏にはミュンヘン中心にドイツ旅行に行こうと思っている。その時にもまた改めて読み直したい。

エンデ全集を全巻手に入れた

ついにこの時がやってきました、

エンデ全集全巻セットが私の本棚に並びました。

高校の図書館で出会って以来ずっとずっと欲しかったけど、金銭的なハードルだったり、本棚のスペースの問題だったり、ラスト・トーク付き全巻セットがネット中古市場に出回るタイミングだったり…といろいろ重なって10年くらい二の足を踏み続けていた。

でも、金銭的な問題は昇給もそこそこで余裕が出てきたし、去年は新しい本棚も買ったし。さすがにそろそろ買えるかな…と思い始めていたところで、最後の一押しをしてくれたのは『影の縫製機』とエンデ・キャンプだった。

クラファン期間中、エンデの話をたくさんしたくても手元に実物がないと自信を持てなくて。わざわざ図書館に確認しにいったりもしていて、手元に必要だな…と再確認。今年こそは絶対買おうと決心していた。

最後の極めつけはエンデ・キャンプ。この時までにエンデの復習をできる限りしたく、申し込みと同時に「日本の古本屋」をチェックしたらちょうど月報揃の全巻セットが出品されていて、即決したのだった。


今回の購入先は天地書房なんば店さん。丁寧な梱包かつ送料もかなり安くてとても助かりました。出荷も爆速でびっくりしたくらい。

エンデ全集が手元にあるおかげでかなり安心感が出てきた。気になったことはすぐ引ける。あとはまだ持っていない必要な関連書がいくつかあるので(『エンデの遺言』とか実は持っていない)そちらも優先的に買いつつ、単行本も買い揃えていきたい。

なお、1週間に1冊読んでもエンデ・キャンプまでに間に合わない計算である。

『影の縫製機』出版記念イベント参加レポート

5/18 ついに新装版『影の縫製機』発売!
発売を記念して、クラファンのリターンとして発売記念イベントが開催された。
「酒寄先生のお話が聞ける」ということでずっと楽しみしていたイベント。ものすごく楽しい時間だったので、簡単ながらその参加レポートです。

↓『影の縫製機』購入はこちらから↓
thousandsofbooks.jp


開催されたのは5/15(金)の夜。この日のために、いそいそとPC用マイクを新調したりしていた。
長崎出版版も手元に置いた状態でイベントに参加したかったのだが、なかなか所蔵の図書館に行くタイミングがなく。しかし当日になってどうしても諦められず、仕事を定時きっかりに終わらせて大急ぎで図書館に向かった。退勤ラッシュの交通渋滞にハマりまくり、閉館10分前に滑り込んだあげく結局イベントに3分ほど遅刻しました。

でも手元に置けて良かった。改訳箇所の確認などをしながら参加していました。

イベントはクラファン発起人アトリエ・ヤマグチのお二人の進行で、翻訳者の酒寄進一先生にインタビュー形式でお話を聞いていく流れ。
酒寄先生とエンデ作品の出会いや、先生が考えるエンデ作品の魅力、『影の縫製機』出版の裏話、翻訳のことなどをじっくり聞ける時間だった。

お話を聞いていて一番の感情は「嬉しい」だった。
大変おこがましいとは思うのですが、私がエンデ作品をひとりで読んでいて感じていたエンデの魅力や特徴みたいなものが、先生のお話とかなりぴったり合っているような気がして。ずっと、そうそう、そうなんですよね、とうなずきながら、カメラオフをいいことに小躍りしたり小さく拍手したりしながら聞いていた。もしかしたらこれまでに読んだいろんな訳者あとがきや解説からインプットしてた内容なだけかも知れないけれど、私はそういうエンデの読み方が好きなんです、ということを再認識したりしていた。

例えば、エンデの魅力。特に『モモ』は現代文明批判的な文脈で取り上げられることも多い作品だけど、エンデは懐古主義者ではない(これは本人もそう言っている)。現代社会を風刺しながらもあくまで視点は現代にあって、ファンタジーに逃避するのではなく、ファンタジーを内に抱えてより"豊か"に生きていくような物語。ポジティブな理想郷は過去ではなく未来にある。

それに、『モモ』は何よりまず"メルヒェンロマン"。啓蒙書ではなくメルヒェンなのだ。教訓的な部分はあれど、物語としてわくわくし、楽しい。エンデ作品にも若干説教くさいな…と思うようなものがあったりはするけれど、基本的には遊び心のある面白い作品なんだよ、と私は思っているし、そういう風に紹介するようにしている。

「神話とファンタジー」に関するお話の中で、「ドイツはローファンタジー的で、イギリスはハイファンタジー的な要素が強い」というのにも、おお、感覚は間違ってなかったんだ…とひとりで嬉しくなっていたりした。私はもともと英米児童文学の方を読んでいて、そこからドイツ文学の棚に流れてエンデと出会った。ドイツのファンタジーと英米文学のファンタジーって質感が違うよね、と個人的にずっと思っていて、それを言葉で説明されて納得。『モモ』と『はてしない物語』の間で明らかに意識が変わっている、というのも興味深かった。確かに。エンデの作品を出版時系列で確認したくなった。

翻訳に関するお話。
エンデのドイツ語文体は癖が強くなく、比較的するっと読みやすいらしい。ドイツ語の勉強を頑張れば問題なく読めそうな気がして安心しました(私は英語をどれだけ勉強しても例えばレイ・ブラッドベリを原文で読めるイメージがわかない…)。ただし、言葉遊び的な表現は多く、そういった要素の訳はやはり難しいのだとか。音読しながら訳していくことが多いそうで、リザ・テツナー『黒い兄弟』なんかは五〇〇頁も読み合わせながら訳したとのこと!『黒い兄弟』も読み返したくなってしまった。

酒寄先生の場合、翻訳をする際には作品ごとにテーマ曲を決めるそう。『影の縫製機』はパブロ・カザルスのチェロだったらしい。チェロのつややかな中低音が『影の縫製機』のイメージとぴったりハマった。本を読むときに音楽を合わせたりするのが好きながら、エンデについてはこれまであまりしっくりくるものがなかったのだけれど、なるほどチェロだな…と納得したのでした。

『影の縫製機』というタイトルについて。長崎出版版の出版以前は、日本の雑誌などでは『影のミシン』という邦題で紹介されることもあったけれど、酒寄先生が翻訳するにあたっては「縫製機」とすっと決めたそう。縫製機の動きをイメージさせたり、「影の」とのバランスだったり、画数の多い漢字であることの想起されるイメージだったり、様々な要素が合わさって、本当に素敵なタイトルだと思う。

この作品は「エンデの詩にシュレーダーが絵をつけた」という一方向的なものではなく、相互の影響がある共作。この二人の共演の中に三人目として入っていく感覚での翻訳だったとのこと。エンデの詩だけではなく、シュレーダーの絵とも併せての訳語選択のこだわりが興味深かった。今回の新装版はドイツ語原文も巻末についているから3人の共演の様をじっくり読み比べられる。


酒寄先生が翻訳に寄せる思いは、「異なるものとの出会いを皆さんに持ってもらいたい」。
海外文学に触れることは、(母語である)日本文学よりも一層、「知らないもの」に出会う可能性を秘めている。自分では考えてもいないような、思いがけないもとの出会いを通じて、自分の殻を破る・社会への窓となる。理解するまで辛抱はいるんだけど、でも頑張ったらそれに見合っただけのものを得られる、と。

このお話にも深くうなずいていたし、そうやって私たちの前に世界を広げて紹介してくださる翻訳というお仕事への感謝の思いを新たにした。私にとって、エンデもまさしく「知らないもの」にたくさん出会わせてくれる窓だ。エンデを読んでいると全然知らないことがいっぱい出てくるし、全然わからないことがたくさんある。それを一つでも理解したくて、私はずっとエンデと「格闘」している気持ちで読んでいたりする。まだひとりでは読めないから、翻訳の力を借りながら。


イベントの終わりには、酒寄先生の今後の出版予定のお話と、黒姫での「エンデ・キャンプ」の予告もあった。どれも楽しみ!エンデだけでなく、ドイツ文学をもっと広く知りたいとも思っているのでとても楽しみです。エンデと格闘するためにももっと知識を広げていかないとなとも常々思っているところ。

とにかく楽しく、あっという間の出版記念イベントだった。
次は是非黒姫に行きたい。まずは飛行機をとろう。

【放送大学】オンライン科目の視聴メモを自家製本した

放送大学のオンライン科目。印刷教材はないが、講義のスライド資料はPDFで用意されている。

このスライド資料を印刷してノートテイクしたい…のだが、枚数が多く、管理しきれないのが悩みだった。実際、学生時代のレジュメ類は捨てるに捨てにくく、かといって整理もできす死蔵してしまっている。

どうにか便利にまとめられないかなぁと思ってホットメルト式の簡易製本機が使える場所がないか探してみたが、見当たらず。放送大学の学習センターであったりしたら嬉しいんだけどな。それか琉大生協で外部の人間でも使えるのであれば…。アクセアなどのコピーサービス店舗でも欲しい。

そこで、今回は製本のりを使って平綴じ製本をやってみることにした。


まずは印刷。印刷教材のサイズと合わせてA5にしたく、A4に2ページ分印刷。コンビニではA5の紙が使えないのが惜しい。

この時、最初は製本じゃなくてノート貼り付けにしようかな…と思っていたせいで片面印刷してしまっており、袋とじ状態で枚数が多くなっている。1回分ずつ中綴じにしてから背固めするのが正解だったかもしれない。

背の部分にカッターで切れ込みを入れている。あんまり意味ないような気もしつつ、お祈りで。


表紙・裏表紙には厚手のレザック黒を使う。本当はコート紙とかのほうがそれっぽくなると思うけど、近場の文房具店では売っていなかった。

背の部分は製本テープで覆うので、表紙・裏表紙も一緒に糊付けする。手持ちの一番大きいクリップでかろうじて挟まった。


ダイソーの板とC型クランプで固定。クリップを小口側につけると一応自立して、作業しやすかった。


今回はこちらの製本のりを買ってみた。
SAIFUKU 製本のり 100ml(2660-0100) https://amzn.asia/d/0dxxdQHi
100mlから購入できて便利。

ただし、初めて使うので買ってはよくわからず。水で若干伸ばして使う…?気がするのだが分量もわからないし、とりあえず一回適当に塗りやすそうな粘度になるよう水を加えてみた。よくわからない。


塗り終わり。やはり背になにか貼った方がいいのでは…?と思い、寒冷紗も買ってみればよかったかな…と後悔し始める。多分意味はないけどなんとなくティッシュを貼ってみた。多分いらない。


そのまま丸一日放置して、背に製本テープを貼れば完成。結構それっぽくなったのではないでしょうか。


うまくのりが塗れていない部分があり、袋とじの片方だけ分離しているところがちょこちょこあった。印刷とのりの扱いが課題だけど、結構いい感じ。

今のところ、自家製平綴じ製本が一番綺麗に資料を整理できそう。他の科目でも試してみてもっとうまくいくやり方を模索したい。