つかのま。

読書と日々考えたこと

イスラエルのことと世界ふしぎ発見!と祖母の傷跡

イスラエルの事態をSNSで知ったとき、私は近所のモスで月見フォカッチャとコーヒーシェイクを飲んでいた。

ここ一ヶ月ほど関心が強まっていたイスラエルでの出来事だという事実に動揺しながら、どうしようもない気持ちになりながら、それでも食事の味は変わりもしないし、なかなか融けないかたいシェイクを最後まで啜った。


世界ふしぎ発見!がレギュラー放送終了するらしいと知ったのはその前日だった。ここ数年はテレビ自体をあまり見ていなかったけれど、世界ふしぎ発見!は本当に大好きな番組だった。小学生〜高校生くらいまで毎週録画して見ていた。いつかここに行きたいなと毎回心躍らせていたものだが、番組で見たうちのいくつかの場所は、もはや気軽には行けないのだと思う(この辺の感覚は以前「世界の解像度」のエントリで書いた。念頭に置いていたのがまさしく世界ふしぎ発見!だった)。

あの番組は私にとって世界の窓の一つだった。窓というと世界の車窓からも時々見てたな。ともかく、具体的に説明はできないけれど世界ふしぎ発見!がなければ私の人生もいくらか違っていただろうという確かな感触がある。レギュラー放送最終回までまた見るようにしようかなと思っている。


世界ふしぎ発見!のことや世界各地の戦争のことを思うとき、思い出すのは自分がサンタクロースに書いた手紙と、祖母の腕に残る白い傷跡。

サンタクロースを疑い始めながらもまだ信じていたころ、私は夜中にサンタへの手紙を書いた。今でも覚えてる。「本当にいるなら、世界を平和にしてください」というようなことを、本当の本気で書いた。確か夜中に玄関の出窓において翌朝回収したが、両親がその手紙に気がついていたのか、読んだのかはまだ確かめたことがない。

手紙を書いた頃のあの本気さを尊いと思う。その後は色々あって目をそらしたり捻くれたり興味がないふりをしてきて生きてきてしまった。


祖父母は10代で沖縄戦を体験しているが、その話を私はまともに聞いたことがない。小学生の頃一度だけ、祖母が腕に残る白い傷跡のことを「飛び散った石の破片の跡だ」と教えてくれたことだけを覚えている。自分から話す人たちではなかったから聞くことで祖父母が傷つくのではと恐れていたというのもある。そうでなくとも私が他人に踏み込むこと自体を躊躇しがちであることもある。祖母は元々ヤマトゥグチがあまり得意ではなくて、逆に私たち孫はウチナーグチが話せなかったという言語上の問題もある(そしてこの言葉の問題は私が言語学に関心を持った要因のひとつでもある)。目をそらしているうちに祖母は認知症になり、体もあちこち悪くなって、コロナ禍で接触を避けるのもあってもうほとんど会話はできない状態になった。私のことを覚えているかもわからない。


目をそらすのはそろそろ限界だと思っている。ここ1年ほどやっている私を取り戻す作業の一環としても、サンタへの手紙を書いた頃の私も取り戻したい。取り戻すといったって同じではない。しっくりくるものをひとつひとつ拾い上げていきたい。