つかのま。

読書と日々考えたこと

一週間目の「わたしがブログを書く理由」:私の輪郭を見つけるために

このブログを開設してちょうど一週間になる。まだまだ模索中のブログだけれど、よい機会なので、特別お題に乗じて現時点での「わたしがブログを書く理由」を言語化しておきたいと思う。


私にとって書くという行為は「思考や感情を捕まえる」ことに近い。ふわふわと流れていってしまうその時その時の考えや感覚に言葉で輪郭を与えている。自分の外側に縫い止めた言葉は自分で読むことも出来る。ああ私はこんなことを考えていたのかと納得できることもあるし、しっくりこなければいつでも、どこまでも書き直せる。書くことで私は私を見つけている。


これまでの10年間ほどは、言葉を縫い止めるための場所はTwitter(X)だった。リアルタイム性が強く、まさにその瞬間を捕まえるのに向いていた。しかしTwitterの様々な変化に直面するうちに、もっと自由になれる場所を探してたどり着いたのがブログだ。


ブログはとても自由な「居場所」だと思う。そこは無限に広くて真っ白で、何を書いても良いし、書かなくてもいい。リアルタイムやトレンドを追っても良いし追わなくても良い。どう書いたって良い、消したって良い。私の好きなように整理整頓しても良いし、乱雑に突っ込んでおいても良い。何もかもが私の自由だ。かといって私は孤立しているのではない。今回のようなお題やコメントなどを通じてサービスの利用者と繋がることが出来る。どこからか見つけてくれた閲覧者と繋がることが出来る。このほどよい距離感が、この一週間はとても心地良い。


自由という意味でなら、多分一番自由なのは非公開の日記帳だろう。それでも私がブログとして公開したいのは、この「孤立していない」ということが大事なのだと感じている。私はともすれば人間関係を無にしてしまいがちなのだけれど、繋がりを全て失って誰からも個として認識されなくなるのがひどく怖い。誰かに認識されたい欲求は、誰かに理解されたい欲求でもある。だから私は世界に「私」を開陳している。ブログの上に縫い止めた言葉を輪郭にして。


このブログを始めたことで、SNS以前の感覚を少しずつ取り戻しているように感じる。SNSは確かに世界と繋がれた。それなりに様々な数値を伸ばす運用をしてみたらうまくいったこともあった。でも多分、私は世界の早さと繋がりの複雑さにそろそろ疲れてきていたのだと思う。Twitterの変化はきっかけの一つだが、そこから逃れたかった理由の全てではない。まずしばらくはここで私の輪郭を見つけ直して、できれば核も捕まえて。世界で自分を見失わないようになりたい。