つかのま。

読書と日々考えたこと

夢を追いかける人の話

たまたま「そういえば東京で演劇やってる親戚がいたな」と思い出すことがあって名前で検索してみたら、その人のSNSと劇団のブログを見つけた。

親戚とはいっても本人とは特に交流はなく、向こうは多分私の存在をかろうじて知ってるかどうか…くらいの距離感でほぼ他人なんだけど、比較的年の近い地元の人が演劇を熱く語っている様にいろんなことを考えた。

そこまで深いつながりはないなりの印象では彼は典型的な沖縄の野球少年で、役者になるんだと上京したと伝え聞いたときには本当に驚いたのを覚えている。ブログでの回想で本人もかなり急に決めたというようなことを書いてあった。ノリで見に行った専門学校の体験入学で衝撃を受けたのだとか。そんな彼は今、沖縄のことも題材にしながら俳優だけでなく脚本を書いたり色々と苦労しつつも頑張っているらしい。


これはあくまで私の感覚だけど、地元では大真面目に夢を語ったりする空気がなかったように思う。それなりに勉強のできる真面目タイプの子供の将来の夢の典型は公務員、理由は安定してるから。あまり夢を語れる空気ではなくて、「それなりに勉強のできる真面目タイプの子供」だった私もそれらしくたくさんの夢を封印した。ピアノの調律師、考古学者、作家、そして図書館司書も(当時地元の図書館はほぼ非正規雇用だった(確か))。


だから、(あまり親しく知らない)同じ地元出身の人が夢に生きていたりすると、「なんで今更」という感情が湧くことがあった。みんなそうしてたから私も諦めてたのに、なんで今更あなたはそれをキラキラ掲げるの。歪めた私はどうなるの。


今回も一瞬そういう考えがもたげたけど、比較的素直に「すごいな、頑張ってるんだな」と思えたのは、今私自身が踏ん切りをつけて司書に向かえているからだと思う。


司書にチャレンジしようと思えたのは、地元の親しい友人たちがそれぞれ夢を叶えたり、好きなことを仕事にしてたりするのを見ていたからだ。彼ら彼女らのことはよく知ってるからそもそも純粋に「すごいな、頑張ってるんだな」と思えていた。それが積み重なるうちに、あぁ私も諦めなくてよかったんだよなと思えるようになっていた。


同調圧力みたいに見えていた同級生たちの心の中なんて、結局私は全然知らない。本当は別の夢を抱えてたのかもしれないし、本当に大真面目に公務員になりたかったのかもしれないし、未来が見えなかったのかもしれない。雷に打たれたように演劇に魅せられた彼のように、まだ運命的なものにその時出会えてなかっただけなのかもしれない。その後平穏に"普通"の道を歩んでいるように見える人にだってそれぞれの背景事情や思いは当然いくらでもある。どれも私は詳しく知らない。詳しく知らないのに、あの頃私を歪めた幻影を彼らに重ねて、「どうして」と八つ当たりをしていた節がある。


それほど親しくない誰かを素直に応援できるようになってきた自分が嬉しい。こんな自分になりたかった。
彼の劇団が沖縄公演をするときは見に行こうと思った。