つかのま。

読書と日々考えたこと

Twitterからの移行先としてのブログ

10年以上Twitterをやってきたけれど、イーロン・マスクによる買収以来、ずっと移行先を探している。このブログをはじめたのもその一環である。


これまでも別の場所を探したことはあった。何度か個人サイトを作ってはネットの海に漂流させてきた。ブログを作ってみたこともある。Mastodonのアカウントも随分前から持っていた。

それでも結局Twitterが自分の『居場所』になってしまっていてなんだかんだ離れられなかったけれど、今回ばかりは本気でTwitterが完全にだめになる『いつか』をリアルに考えながらブログを開設した。


しっくりくる移行先を探すにあたって、私にとってTwitterは何だったんだろうと考えたりした。

Twitterを始めたきっかけは当時好きだった二次創作作家さんのつぶやきが見たかったからだった。ブログや掲示板では話しかけにくかったが、Twitterでは身近に感じて、相互でそれなりにやり取りするようになった。自分が少し大人になったような、世界が広がった気がして嬉しかった。

その後もたくさんの人とゆるやかに繋がって、時には離れて。もう10年近くになる相互フォロワーの皆さんに対しては、直接のやり取りや熱中しているジャンルのかぶりがなくなっても、独特の親しみを覚えている。一方的かもしれないけれど。


創作物の発表や趣味の人と繋がる場、災害情報やニュースを集めるツールとしても使ってはいたが、ここ数年のメインの用途は、そういったゆるやかな繋がりとそこからうまれる居場所の維持だったのではないかと思う。Mastodon等の分散型はスタート時点でサーバーを選ばないといけなくて、そこで自分の居場所を固定する感じがしてあまりしっくりこなかった感じがする(正しい理解なのかはわからない)。


人とがちがちに繋がるでもなく、自らコンテンツを多くの人に見てもらうでもなく、「私の居場所」を確立して、その上で他の人の家を訪ねたり、時として訪ねてもらったり、交流はなくとも様子は知ってたりする。それくらいのつながりの拠点としてはブログはなかなか適してるのではないかなと思った。

最近のTwitterで一番もう無理だと思ったのは、自分のホーム画面ですらツイートが投稿順に並んでいなかったとき。TLがめちゃくちゃなこととも併せて、私の居場所を台無しにされたように感じてしまった。


Twitterで失ったものもたくさんあるなと思っている。
単純に時間は使いすぎたし、脳直でダダ流しすることにも慣れすぎてしまった。Twitterを世界の縮図みたいに捉えてしまって認知が歪んでるところもあると思う。


類似のSNS系からは少し距離を取って、このブログで立て直していきたいと思っている。今の一番の悩みは、分割してしまっていたアカウントと名義をブログ上でどう統合していくかということ。