つかのま。

読書と日々考えたこと

ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』

今回読んだのは岩波少年文庫Kindle版。上巻は5月頃に読み終わっていた。

エンデが好きで、『はてしない物語』はハードカバー版も所有している。黒姫童話館で買ったドイツ語ハードカバー版も持っているのが密かな自慢。

通しで読むのは(といっても今回は上下で間を開けているけど)多分5年ぶりぐらいだ。上下分冊の岩波少年文庫版は比較的読みやすいと思う。でも最初に読んだときの「あかがね色の本」の仕掛けに気がついた瞬間の興奮もやはり忘れがたく。


がっつり語れるほどの経験値がまだないけれど、エンデのファンタジーを読むとドイツだな~と感じる。英米系のファンタジーとは質感が違うというか。他に同じような感覚をプロイスラーの『クラバート』あたりを読んだときにも感じた。でもラルフ・イーザウを読んでるときにはそこまで感じなかった気もするので気のせいかもしれない。『自由の牢獄』や『鏡のなかの鏡』にも通ずる独特の世界観と「これはまた別の物語」の広がりが楽しくて、本当にずっとここで遊んでいたくなるような物語だ。しかしファンタージエンには永遠にいてはいけない、真の望みを見つけなければ。


一時期は、中盤あたりのバスチアンがキツくなったりして読めないこともあった。バスチアンにイライラする…というよりも、多分同族嫌悪や共感性羞恥みたいな感じだ。私もバスチアンに似ていた。太っちょで、運動神経が悪くて、いじめられっ子ではなかったけど誂われることで傷ついたりもして、何よりも物語が好きだった。そして同時に、バスチアンと同じように卑屈なところも醜いところもあった。アトレーユの忠告に耳を貸さず尊大になっていくバスチアンに自分を見てしまうのがキツかったのだと思う。真の望みもわからないまま大事なことを忘れていくバスチアンが。


その意味でもやはりバスチアンは私だったように思える。私も自分で自分を捻じ曲げてしまってきたことがある。真面目にやってると笑われたから、私も不真面目に振る舞ってみた。確かに楽で良かったが、同時に足元が崩れていくような感覚だった。私はそんな私になりたかったわけではなかった。私の欲するものは、真の望みはそれではなかった。


道をそれてしまったことを後悔することはたくさんある。あのときこんな道を選んでなければ、とどうしても思う。大学生の頃の自分をはっ倒して目を覚まさせたくなる。

でも、アイゥオーラおばさまは何もかも必要だったと抱きしめてくれる。幼ごころの君は善悪を区別しない。おひかりの蛇は白黒二匹が互いの尾を噛んでいる。


私の真の望みまではバスチアンと同じかはわからないけれど、最近少しその片鱗を掴みかけてきたように感じることがある。今読み返せて良かった。


外伝というか、オマージュ作品群として『ファンタージエン』シリーズがある。この中のターニャ・キンケル『愚者の王』もとても好きで思い入れがあるので、追って読んでまた書きたい。