つかのま。

読書と日々考えたこと

岡田淳『こそあどの森のおとなたちが子どもだったころ』(こそあどの森の物語)

今日初めて行った図書館で見つけたので、つい手に取ってその場で読んだ。読みたいなと思いつつ手に取りそびれていたのでようやく読めてよかった。


こそあどの森シリーズが昔から大好きだ。ほんのり不思議があるファンタジーで、優しいけれども甘すぎないというような。この手のファンタジー感だと岡田淳のほかには斎藤洋を読んだりしたときにも近しいものを感じる。つるばら村なんかもそうかな?決して派手ではない、日常の延長のような静かなファンタジーとでもいうようなものが結構好き。ぎゅっとしてぼろぼろ泣いてしまう時もあるけどこれがまたちょうどいい温度感だったりする。


去年、劇団四季版『はじまりの樹の神話』の沖縄公演を友人と見に行けたのがとてもよかった。大好きなシリーズだからこそ自分の思ってたようなものがでなかったらどうしようと身構えてしまったりしてしまっていた部分もあるけど、全然心配はいらなかった。大好きな「こそあど」がそこにあった。こそあどシリーズにはいくつかの詩や歌が出てきたりもするし、相性はたしかによかったんだろう。なんなら『ミュージカルスパイス』はじめ他の作品もミュージカルで見たいかもと思った。


今回の『おとなたちが子どもだったころ』も、特に印象に残ったのはスミレさんの歌だ。花と森のおばあさんに歌ってあげる「ここでうまれました」の歌。花の一生の歌であり、森のおばあさんの旅立ちの歌でもあり、その後引っ越してしまう(森のおばあさんとももう会えなくなってしまった)スミレさんの歌でもある。それでも遠いどこかで咲いたとき、「そしてうたうことでしょう なつかしいこのうたを」。当時住んでいた場所からは引っ越してしまって今はガラスびんの家にあって、その中でスキッパーやふたごに思いを語る…というのが、まさしく「そしてうたうことでしょう」だなぁと思った。そして、昔から大好きなこそあどを、大人になった今改めて読んでいる自分にも重なったりもした。

こそあどの登場人物はみんな好きだけど、とくにスミレさんが好きかもしれない。『ユメミザクラの木の下で』もとても好き。トワイエさん(子)・スキッパーの3人でやるしりとりの場面がすごく印象に残っている。「すれちがい いつのまに」…。『だれかののぞむもの』なんかも印象的だったな。(ポットさんトマトさんトワイエさんに比べたら)決してフレンドリーではないんだけど、詩や香草を愛し、静かに、豊かに暮らしている姿にあこがれているのかも。初期のころの自分の世界にこもりがちなスキッパーにも近しいものがあって、とても素敵なキャラクターだと思う。同じように、物静かなんだけど豊かなギーコさんもとても好き。ギーコさんの「何も選ばない」ことですべてを忘れなかった話もとても素敵だった。

トマトさんの話は『まよなかの魔女の秘密』を思い出したりしてドキドキした。おばあさんも只者ではなさそうな…。トマトさん・ポットさんはどちらかというと現実的な考え方をする、ファンタジーから少し遠めの人という印象が強かったので、この二人が小さなころからファンタジーに接近していた様子はなかなか興味深かった(ポットさんのほうはやはりかなり”現実”よりだなとは思う)。

トワイエさんのお話は”派手なファンタジー”っぽさもありつつ、「夢だったのか、自分の作った物語なのか、本当に起きたことなのかわからない」という塩梅がほどよいファンタジーだなと。結局のところそのどれでもよくて、トワイエさんにとって大事なのはその思い出から派生した「物語を作る人になりたい」という思いなのである。今作全体の「不思議で大事な思い出語り」のテーマを貫くようなお話だった。


おとなたちの世代が子どもだったころのこそあどの森が今の森とはだいぶ違うように、スキッパーやふたごが大人になるころの森の様子はまたずいぶん変わっているのだろうと思う。現実世界だってそうだ、私が子どもだったころからだいぶ変わってしまった。その中でも変わらないもの、また思い出せるもの、そんなものを抱えながら、「そしてうたうことでしょう なつかしいこのうたを」。