秋月こお名義の『王朝春宵ロマンセ』シリーズを読んでいると小野篁が出てきたので、どうしても『たかむらの井戸』が読みたくなってしまい。その流れで近頃読み返していない作品を中心にたつみや章作品一気読みをした。
このブログはその記録をまとめて書くので、作品一つ一つについてはあまり深く掘り下げない。
一気読みをして感じたのは、あぁやっぱりたつみや章作品が大好きなんだな…ということ。
なかでも『月神の統べる森で』が一番好きだけど、それ以外の作品もどれを読んでもあぁ、これだよ、と思う読み心地で。
今回読んだたつみや作品のメッセージや展開は、割とどの作品も似通っているところがある。等身大の男の子が自然の化身のような神秘に触れて、「目が開いていく」お話だ。
この、「等身大の男の子」の書き方が結構好きだなぁと思った。たつみや章の書く「ちょっとだけ"悪い"普通の子」の成長譚がすごく良いのだ。
たつみや作品における子供の"悪さ"は、全体的に無知の結果というような描かれ方をしている。それが良くないと知らないから嘘をつくし、それがあると知らないから神秘に目を向けない。子供が自己保身のための嘘を重ねるようなシーンではグサグサと突き刺さってしまったりもするんだけど、そんな等身大の子供たちが物語を通じて「目と耳が開」いて、"正しい"道を選べるようになっていく様子に私も救われていく。悪く生まれたのではない。100%悪い人などいない。ただ、知らないから、見えないから道を誤ってしまうだけで。必要なのはあるがままを受け入れること、目を閉じず、耳を塞がず、知ろうとすること。
物語の中で子供たちは成長していくが、万能にはならない。彼らは小さい子供で、できることはまだ少なくて、彼らが戦う相手は大人で、社会で、時の流れで、どうにもならないことの方が多い。ものすごく現実的で切なくなる瞬間がある。それでも、その悔しさをも握りしめて、生きる力を養った子供たちは未来に向かって進み続ける。そういったところに、あぁ、児童文学だなぁと思ったりする。子供の現実を受け止めて、背中を押してくれる感じが。児童文学のそういうところが大好き。こういう児童文学で私は育ちました。
女性の描き方だとか、ちょっとしたところに古いなぁ、と感じてしまう部分は正直あちこちあった。さすがに刊行年が古めなのでしょうがないのかな、とは思うけれども。それでも普遍的なメッセージの部分はやはりすごく良いと思うので、改めて良い作品だなぁと思うのだった。たつみや先生、もう本当に作家業は廃業なのでしょうか。女の子が主人公のイサナも好きなんです。もっとたくさん読みたいのです…。
2025年の読書納めは『ぼくの・稲荷山戦記』になった。
たつみや章をかみしめながら年を越す。




