つかのま。

読書と日々考えたこと

2025年を振り返る

2025年3月までのことは2024年の振り返り記事で合わせて書いたので、この記事では4月以降のことを振り返ろうと思う。

2025年は仕切り直しと変化の年だった。
3月には自分の中で一度は行くべき原点だった徳島旅行に行けた。10月には私のしこりの一つだったつくばにも行けた。重要な旅行ができた年だった。
4-5月頃に部屋の大掃除をしてかなり良いスタートを切った。放送大学の正科生にもなり、今年は規則正しく、整った質の高い生活をするぞ、と息巻いていた。

7月頃まではこの生活がうまくいっていたのだが、ここでさらなる変化があり、生活がまた変わってしまった。仕事でちょっとだけ昇進してしまったのだった。

昇進したことによって増えた仕事により、これまで以上に残業が増えてしまった。人付き合いの機会も増えて気づかれ倍増。おかげで生活リズムはすっかり崩れ、5月に始めた習慣のほとんどは、12月現在では失ってしまっている。図書館ボランティアにもほぼいけなくなってしまって悲しい。放送大学も危機的状況である。でも昇進したことでお給料が増えて、衣服をちょっと整えたりできた。さすがに金銭面で生活に余裕がある感じにはなってきて、その点では心穏やかになれた。

8月にはパソコンを買った。Window10のサポートが切れるのに合わせて、この機会にノートパソコンからデスクトップPCにしてみた。せっかくなのでそれなりのスペックで買ったのでお財布は痛かったが、おかげでこれまでやってみたかったけれどスペックが足りずに諦めていた3Dいじりや動画編集ができて楽しい。これは買って良かった。ついでにTransbook T90Chiの代わりに買ったChromebook CM30もなかなかいい。Chromeリモートデスクトップで家のPCを操作すればモバイルでもかなりのことができる。あわせて買って良かった。買って良かったと言えば、デジタルサックスのスタンドも買った。これも買って良かった。

懐かしい友人知人と何度かあったりもした。何もない年はマジで何もないので、今年はかなり人に会った年だと言える。特に母校の吹奏楽部の定演に行ったりしたのが大きいかも。かなり懐かしかったのと、自分が今でも音楽を続けられていることがちょっと嬉しくなる経験だった。

音楽と言えば、フルート仲間のおばさまたちがどんどん教室をやめてしまった。先生との人間関係が主な要因で、まぁわからなくもないのだけど、どちらかというと先生側の言い分の方がわかってしまったりした。もっといい言い方はあるのかもしれないけど、先生の言うことは間違ってもいなくて。習い事や芸事の世界ってそういうもんだよね、と、私が変に諦めてるのかも知れないけど。ここ5年ほど一緒にやってきた仲間が減ってしまうのは悲しい。

9月から10月にかけては『闇の縫製機』のクラファンを勝手に応援していたのが楽しかった。それをきっかけにXでエンデ好きの方とこれまでにないほどエンデのお話ができてとても嬉しかった。以降も時々、Xの公開アカウントで本の話をしている。

11月から12月にかけてはとくに仕事が忙しく、放送大学にほとんど手をつけられなくなってしまった。これを書いている今、微分積分がとてもまずくて、さすがに単位を落として再試験にしようかな…と思っているところです。

語学は韓国語の一年だった。といってもDuolingoをずっとちまちましていた程度で、あまり進捗はない。来年はドイツ語をやろうと思っているので、韓国語はここで一休み。

良くも悪くも、昇進したことで生活が大きく変わってしまった年だった。ようやく私生活をコントロールできるようになったと思ったのに、仕切り直しでうまくいかなくなってしまって。来年の目標は今の仕事に合わせて、また生活を乗りこなせるようにすることだ。
変化が多くて、なんだか長く感じる年だった。7月を境に別の年のよう。うまくできかなったこともたくさんあって、後悔もあるけど、そのときそのときを必死に乗りこなそうとできるようになってきた気がする。

少しずつマシな私にはなっている。

たつみや章『たかむらの井戸』ほか 一気読み

秋月こお名義の『王朝春宵ロマンセ』シリーズを読んでいると小野篁が出てきたので、どうしても『たかむらの井戸』が読みたくなってしまい。その流れで近頃読み返していない作品を中心にたつみや章作品一気読みをした。
このブログはその記録をまとめて書くので、作品一つ一つについてはあまり深く掘り下げない。

一気読みをして感じたのは、あぁやっぱりたつみや章作品が大好きなんだな…ということ。
なかでも『月神の統べる森で』が一番好きだけど、それ以外の作品もどれを読んでもあぁ、これだよ、と思う読み心地で。

今回読んだたつみや作品のメッセージや展開は、割とどの作品も似通っているところがある。等身大の男の子が自然の化身のような神秘に触れて、「目が開いていく」お話だ。

この、「等身大の男の子」の書き方が結構好きだなぁと思った。たつみや章の書く「ちょっとだけ"悪い"普通の子」の成長譚がすごく良いのだ。
たつみや作品における子供の"悪さ"は、全体的に無知の結果というような描かれ方をしている。それが良くないと知らないから嘘をつくし、それがあると知らないから神秘に目を向けない。子供が自己保身のための嘘を重ねるようなシーンではグサグサと突き刺さってしまったりもするんだけど、そんな等身大の子供たちが物語を通じて「目と耳が開」いて、"正しい"道を選べるようになっていく様子に私も救われていく。悪く生まれたのではない。100%悪い人などいない。ただ、知らないから、見えないから道を誤ってしまうだけで。必要なのはあるがままを受け入れること、目を閉じず、耳を塞がず、知ろうとすること。

物語の中で子供たちは成長していくが、万能にはならない。彼らは小さい子供で、できることはまだ少なくて、彼らが戦う相手は大人で、社会で、時の流れで、どうにもならないことの方が多い。ものすごく現実的で切なくなる瞬間がある。それでも、その悔しさをも握りしめて、生きる力を養った子供たちは未来に向かって進み続ける。そういったところに、あぁ、児童文学だなぁと思ったりする。子供の現実を受け止めて、背中を押してくれる感じが。児童文学のそういうところが大好き。こういう児童文学で私は育ちました。

女性の描き方だとか、ちょっとしたところに古いなぁ、と感じてしまう部分は正直あちこちあった。さすがに刊行年が古めなのでしょうがないのかな、とは思うけれども。それでも普遍的なメッセージの部分はやはりすごく良いと思うので、改めて良い作品だなぁと思うのだった。たつみや先生、もう本当に作家業は廃業なのでしょうか。女の子が主人公のイサナも好きなんです。もっとたくさん読みたいのです…。


2025年の読書納めは『ぼくの・稲荷山戦記』になった。
たつみや章をかみしめながら年を越す。

秋月こお『王朝春宵ロマンセ』『スサの神謡』

11月頃、唐突にたつみや章が読みたくてたまらなくなってしまった。
手元にあるのは『月神の統べる森で』シリーズのみ…。このシリーズは2024年に読み返したばかりなので、別の作品が久々に読みたい気持ちが強かった。
図書館に行けば神様三部作やイサナも借りてこれるが…どうにもしっくりこないインサイトを深掘りしていくと、私が本当に求めているのは「たつみや章の新作」だった。

たつみや章」の作品は全部一度は読んでいる。そしてどうやらもう「たつみや章」名義で作品は書かれていないということも知っている…。


…読むか、今こそ。『秋月こお』を。



と、いうわけで、このたびついに『秋月こお』名義の作品を数冊読んだ。その後に『たつみや章』名義の作品も一気読みしたので、まとめてブログに書いておく(こちらは別記事にて)。

たつみや章が『秋月こお』名義でBLを書いているというのはずいぶん前から知っていた。高校生の頃かな、イサナの続刊…と飢えていたころに調べて知った記憶がある。
しかし、いかんせん『月神の統べる森で』にクソデカ感情を抱きすぎていたので、そもそも恋愛ものに全然食指が動かないのもあってBL…BLか…と思い悩みつつこれまで敢えて手を出さずに来た。

たつみや作品の美形男性の描き方を思うとまぁ、と納得する部分はありつつ、基本的に「児童文学」の枠組みで読んでる都合、性的な目で見たこともなかったから(間違いなくヘキを形成されたな…と思うシーンは数カ所あるが…)、万が一自分の中のたつみや章作品の思い出が塗り替えられてしまったら…もう二度と読めなくなってしまったら…と過剰にセンシティブになってしまって怖かったのだ。それだけ『月神』は私の中で重い作品だった。

今回はとにかくお試しで読んでみよう、だめだったら即時撤退しよう…のつもりで、Kindleで気軽に買えそうなものから選ぶことに。ちょうど太平記の流れで歴史熱が上がっていたこと・たつみや作品の中でも古代っぽいものが特に好きなことから、平安ものの『王朝春宵ロマンセ』シリーズをチョイスしてみた。

読み始めるとこれまでのたつみや章のイメージからは大きく離れたかなりライトな読み口で、まずはガツンとびっくりした。
お耽美系かしら…と勝手に思ってたら、なんかこう、結構がっつりラブコメBLラノベですね!?

それなりに濡れ場もあったりするような作品だったが、「たつみや章」のイメージと違いすぎて事前に心配していたような印象の上書きは全く起きず、しかし文章がスルスル読みやすいのはたつみや作品と一緒で、台詞まわしにもたつみや感(?)を感じ、確かに同一人物だ……とかみしめながら気づけばあっという間に全四巻+外伝3巻を一気読みしていた。

BLとしては、正直あまりメインCPにハマりきれなかった。メインの諸兄×千寿丸は序盤から相思相愛のイチャイチャ具合で、大型犬×小型犬という感じ。二人の恋路を脅かすような事件は起こるものの、全然心配にならないくらいには常にイチャついているハッピーCPという印象だった。せめて諸兄がもうちょい早く短慮を克服してくれたら…。BLとして好きだったのはむしろサブCPの業平と国経。千寿丸への思いをこじらせたところから深まっていく仲…BLは薄暗いCPが好きなので…。業平と国経って若干ホムタの系譜ではないですか?(審議)

メインCPにハマりきれないので、面白いけど秋月先生とはヘキが違うな…このシリーズは読んでも他BL作品には手は出さないかな…と1~3巻あたりでは思っていたのだが、4巻から一気に風向きが変わった。たつみや名義から入った人へ、4巻からが本番です。

4巻はこれまでで一番の大事件がおこり、さすがに二人もイチャついている場合ではなくなってくる。業平と国経もそれぞれ千寿への思いをある程度処理して、人間関係が恋愛感情以外のものになっていくあたりも肌なじみがいい(そもそも単純に恋愛ラノベに向いてないオタクなだけでは??)。そして、物語にはがっつり"神秘"が絡んでくるようになる。ここからはもう「たつみや章」をひたすらに感じる描写と展開が続いていく。実家だ、ここが実家だ…といいながら読んでいた。実家ではない。

神秘の描写だけでなく、精神面の部分についてもたつみや章を感じまくった。例えば阿闍梨が敵も弔う様子だったり、それを見た千寿が「無常」をふと理解するところだったり。ちょっと飛ぶけど外伝3巻の三途の川の場面とか。というか外伝3巻はほぼまんま月神の流れである。やられた!!!と頭を抱えていた。外伝3巻が一番面白い、この巻はBL的にもメインCPの雰囲気がかなり好みに近くなる。

4巻~外伝がかなり面白かったため、これは全然秋月こお作品、イケるな…と思い、あと1作品読んでみることに。
そこで選んだのは古代ファンタジー系の『スサの神謡』。こちらは古墳時代くらいをイメージしたもので、世界観の雰囲気はかなり月神・イサナに近い。神々の描写はちょっと『夜の神話』っぽい感じかも。

こちらは世界観・設定、端々の描写にもかなり"たつみや感"が強く、秋月こお作品チャレンジ前に想像していた「秋月こお名義のBL」のイメージに近かった。が、しかし…今回もあまりメインCPにハマりきれず。王朝ロマンセよりはシリアスなCPで好みに近いのだが、やはりこちらもほぼ一目惚れ(というか運命)で結構ずっとイチャついている状態ではあり、世界観や大まかな流れはずっとシリアスなのにBLシーンで急にラノベになる感じで惜しい…!!となってしまった。そりゃラノベだからねといわれたらそうなんですが、BL部分の細かい展開ももっと丁寧に重厚に…とどうしても思ってしまって。魚を産むシーンなんかはかなり神秘的エロティシズム…という感じでいいのですが…。正直ちょっと古いなぁ、と思ってしまう部分も随所にあった。そりゃ古いんだけど。

メインCPの好みがあまり合わない可能性を感じており、さすがに秋月こお作品全制覇!はやらないかなぁ…というのが正直なところ。しかし確かに面白かったし文章の随所にたつみや章を感じて、あぁ文章も好きだったんです…というのを思い出せたので、まだ何冊かあるらしい歴史もの系だけは今後少しずつ読んでいこうかなと思っている。

斉藤洋『ティゲルファル』

ふと久しぶりに斉藤洋が読みたいな…という漠然とした気持ちになって、図書館の棚をぼんやり見ていたときに見つけた本。

あらすじから想像していたのとはだいぶ違う話の展開、そしてなんとも言えない読後感。ちょっと衝撃的だったのでブログに書いておきたい。

斉藤洋作品自体がものすごく久しぶりだった。小学生の頃好きでよく読んでいたのだが、最後に読んだのはおそらく小学校高学年の頃に『ジーク』を何回か読み返していたくらいじゃなかろうか(ちなみに今回も『ジークⅡ』があり、懐かしくて読もうかと思ったのだが、1巻がなかったので諦めてしまった)。そんなもんで「斉藤洋ってこういう作風だったっけ…!?」と読後感に途方に暮れしまったが、冷静に考えるとジークもこんなだったような気もしてきた。

まず、あらすじや挿絵の感じから、「原始的な世界観で少年が冒険したり『森で起きた謎』を解いたりして成長していく話」かな、とぼんやり読み進めた。

10以上の数や「家族」の概念があやふやな描写や名前・言語の扱いなどが凝っていて好きだな…と思っているうちに、主人公「青とんぼとおどる」は他の人にはできない「嘘を付く」力を表す。やがて「ティゲルファル」と呼ばれるようになった少年は嘘に嘘を重ねていってしまう…。我々は内心「嘘を付くのはいけないことだ」と思いながら読むから、ティゲルファルが嘘を付くたびに、いつか大きな破綻が来るのではないかとヒヤヒヤしてしまう。

しかし、ティゲルファルの嘘はどんどん深刻さをましながらも、結局大きな問題にはならずに最終章にたどり着いてしまう。てっきり敵として描かれている「体の大きな者たち」との戦いが終盤入口であって、そこでティゲルファルの「嘘」が暴かれて一悶着…と勝手に思っていたのに、「体の大きな者たち(ザーズ)」との戦いすら最終章でやっと発生するのだ。

あれ?嘘はそのままでいいの?え、本当に?と思いながら信じられないような気持ちでページを捲り…最後のページの衝撃。

嘘はもちろん良くない。ティゲルファルの嘘の積み重ねは、作中ではずっとうまく行っていたように見えていたものの、結局一度嘘をついたら取り返しがつかなくなって転がり落ちるように嘘ををつきつづけるしかなくなってしまった。極めつけは"自分たち"と"敵"を名付けによって弁別したうえでの「ザーズはけもののようなもの、我々とは違う」という"嘘"。

最終的に、それが"嘘"である、と自覚しながら、ティゲルファルは殺人を犯す。そこで終わり。

転がり落ちて転がり落ちて、いずれはプラスに解決するだろう、と正直油断して読んでいた。この本はずっと転がり落ちていって、どん詰まりを悟り、その先の一線を越えて終わるような本だった。その先の解決はない。だって我々人間はいまだに解決してないもんね。

遠い昔の物語にダイブしていたら突然現代に放り出された。そんな感覚になる読書体験だった。とにかく途方に暮れて、そこから色々と考えたくなるような。

読書メーターなどをみていると続編を望むような声もあるが、これは続編はないからこそのこの終わり方なのでは…というような気がしている。とか言って普通に出るかもしれないけど。この先があるとしたら、それこそ一線を越えたティゲルファルが「嘘」と向き合っていく話になるのだと思う。それはそれで確かに読みたいし、あったらあったできれいに物語がまとまるとは思うけど、この独特の途方に暮れる読後感はなかなか良いもので。

私が借りた図書館本にはついていなかったのだが、帯には「ホモ・サピエンスはなぜ唯一生き残ったのか」と書いてあったらしい。まさしくそういう話だったので、納得…。斉藤洋、この機会に色々読み返したい。

2025年ベストバイ ASUS Chromebook CM30 Detachable

今週のお題「買ってよかった2025」
ということで、人もすなるベストバイといふものを、私もしてみむとてするなり。

そもそも買った時点でブログに書こうと思って忘れていたのだが、今年の4月末にChromebookを初めて買った。

もともとASUSのTransbook T90Chiを使っていて、流石に限界を感じて今年のGW頃に処分したのだった。
tsukanoma.hatenablog.jp

そのかわりになる端末がほしくて色々と検討していた。求めていたのは以下のようなデバイス

  • 主な使用用途は外出先でのテキスト入力、ネット利用。かつ家の中で気軽に起動できるスマホ以上・PC未満くらいのもの。
  • 持ち運び用として使えるサイズ感
  • 手書き入力ができること
  • キーボード入力も十分にできること

真っ先に思い浮かんだのはiPadだったわけだが、流石に高いなぁ…と思ってしまい。
かといってAndroidタブレットは、長年Androidスマホユーザーとしてもちょっと微妙では…それならWindowsタブレットのほうが…という気がしてしまっていた。なおT90Chiユーザーとしての経験的にはWindowsタブレットもビミョ〜〜…という感覚である。Surfaceならいいんだろうけど私の中ではもはやPCの括りだし、高い。

iPadも泥タブもWinタブもだめ…となったときに思い浮かんだのがChromebookだった。
テキスト編集とブラウジングくらいしか使用用途がないんだし、Chromebookが最適なのでは?

そこから色々と検討して見つけたのがASUS CM30 Detachableだった。
https://www.asus.com/jp/laptops/for-home/chromebook/asus-chromebook-cm30-detachable-cm3001/

タブレット的に使いたかったからペン対応でDetachableかFlip式のものがほしかったのだが、これが意外とない。特に安いものはほとんど文教向けっぽいクラムシェルで、う〜んノートPCがほしいわけではないんだよな…となかなか決め手にかけた。

その中でこのCM30はデタッチャブルでサイズもちょうどよく、ペンが本体収納・充電可能というところが決め手になった。
ちょうど文教モデルが再生品で売られているのを見つけて、かなりお安くゲットできた。いい買い物をした。

メモリは少々少なめだが、テキスト編集とブラウジングという目的の上では特に不満はないくらいにはサクサク動く。

Chromebookならではの利点として、とにかく起動がはやい。ぱっと開いてさっと使える。外出先でメモを取りたいときや家で軽くブログを書いたり放送大学の動画を見たりしたいくらいのときに、気軽に使えるのがいい。これはまさにT90Chiの後釜として欲していた使用感だった。

Androidスマホとの連携もいい。スマホで撮った写真をすぐにChromebook上で使えたりするので、ブログを書くときにも重宝していたりする。

電池持ちもいまのところかなりいい。T90Chiはさすがにバッテリーがへばってきていて、長時間使い続けるのは難しかった。ディスプレイとキーボードをそれぞれ充電しなければならなかったのも面倒だったが、CM30は充電も楽。ペンも収納しているだけで充電できるので、充電し忘れがない。使いたいときにすぐ使える。

若干問題があるとしたら、膝の上では使いにくいところ。
デタッチャブルのキーボードはディスプレイカバーのようになっているようなタイプで、T90Chiのように合体したらクラムシェルっぽく使えるというわけではななかった。
ディスプレイ部分もキックスタンド式なので、ある程度の奥行きがないところでは開けない。

加えて、これは超個人的な問題だが、キーボードやキックスタンドの部分が磁石式で磁気カード類に近づけるのが怖くて意外と持ち運びに気を使ってしまう。これまで何度も磁気カードを破壊してきた人間なため…。うまい具合に磁気対策をしてもっと気軽に持ち運べるようにしたい。


ちょうど、今年はWindows10のサポート終了もあってメインPCも買い替えどきだった。夏頃に思い切ってノートじゃなくてデスクトップに買い替えてみたのだが、その決断ができたのもこのCM30がなかなか良かったおかげだ。ノートに求めていたモバイル性や起動の気軽さは全部CM30でカバーできていたので、メインPCの方はスペック重視で選べやのだった。総合的に良いお買い物ができたと思っている。

Darren Shan『The Saga of Darren Shan』(全12巻)

久々の英語多読記録。ついに『ダレン・シャン』を英語で読み切った!
↑のバージョンの合冊版Kindleを買って読んだが、1冊ずつ買ったほうが安かったっぽいと今更気づいた。まぁいいか…。

ファンタジーながら基本は現代舞台、主人公は(前半は)子供ということもあって、英語はそれほど難しくなく、テンポよく読んでいけた。(もちろん日本語で何度も読んでいるのでストーリー把握できているというのもある)

出だしの一文からぐっと引き込まれるような面白さがあって、英文としても読みやすい…のでは?と思っている。少なくともDarren Shanの前に読んでていた The Worst Witchシリーズよりは個人的に読みやすいかも。


なお、このブログには当然のように最終巻までのネタバレがあります。
万が一にも『ダレン・シャン』に触れずに来てしまった人は今すぐ『ダレン・シャン』を読んでください。面白すぎるため。


記録を見ると2024年6月ごろから読んでいたようなので、約1年半。
途中で多読を中断してしまったりした時期があってここまでかかってしまった。
特にこの作品、どんどん辛い展開が起きていくのを覚えていたたため、読み進めるのに気合が必要だった。

おそらく最後に日本語で読んだのは15年くらい前だと思う。小中学校の図書館にあって何度も何度も読んでいた。
結構グロテスクで気持ち悪さも怖さもあって、そういうちょっと"危ない"ものに惹かれがちな小学校高学年くらいの子供にはめちゃくちゃ刺さる作品で、同級生の読破率もかなり高かった記憶。

今回改めて英語で読み直してみると、真っ先に思い浮かんだ感想は「そりゃ流行るわ、こんなにおもしろいんだから…」だった。

特にとにかく構成がうまい。うまくない?
1巻ごとの展開が面白く、章のつなぎもハラハラさせてどんどん読んでしまうのはもちろん、全12巻もある長めのシリーズなのに、シリーズ全体の伏線回収も着実にやり、前半巻のイニシエーションなどしっかりと「やるべきこと」をやって舞台が回帰し運命が収束していくような流れがあまりにも気持ちいい。

この構成はあまりにも出来過ぎだな…とちょっとメタな読み方をしてしまいたくなる瞬間があっても、でもこれはデズモンド・タイニーの手のひらの上だから…!と納得してしまうことができる。
…と思いきや、最後の最後でなぜこの作品において作者と主人公が同じ名前なのか?が明らかになる瞬間、さらなる"納得"で呻くことになる。この作品が「物語としての出来」が良いのは当然だ、だってそのように書かれたのだから!

最終巻の畳み掛けが本当に好き。
「この物語は主人公ダレンの日記を元に、大人になったダレンが書き上げたもの」という、第四の壁を壊しに来る畳み掛け。
あかがね色表紙の『はてしない物語』と似たような仕掛けなわけだが、あの作品で読者は誰でもバスチアンたり得るのと同じように、この作品でも誰もがダレン・シャンたり得るように示されていく。
(全く余談だが"Ende"なんて名前の人が書いた"はてしない"物語、というのと、"ダレン・シャン"という名前の人が書いた"ダレン・シャン"という本、という著者名とタイトルをあわせたときの面白みにも勝手に親近感(?)を覚えている)

「ハーフバンパイア」「最年少のバンパイア元帥」「影の大王候補」「バンパニーズ大王のハンター」「運命の息子」…数々の特殊な属性・肩書を持つダレンも、もともとは「かなりクモが好きで、ちょっといたずら好きなだけの普通の子供」だ。(実はデス・タイニーの息子で動物を従える才能がもともとある…というのは特殊だけれども、それは特に意識されずに生きてきたわけで)

そしてそういうちょっと"危ない"ものが好きな子供というのは…そう、『ダレン・シャン』を最後までワクワク読み進めてしまうような読者もそうだ。

ダレンが過去の自分を運命から遠ざけた結果、傷ある者の戦いに巻き込まれる子供はダレン・シャンではなくなった。代わりの子供は男の子かもしれないし、女の子かもしれない。ただ、夜の世界に足を踏み込んでしまうような、ダレンのようなちょっと"危ない"子であることは確かだろう。

作中のダレンが意図した通りなら、この物語が出版されている頃には傷ある者の戦いは一旦収束しているはずだけど…はたしてダレンの策略で登場人物が入れ替わってしまったなら、一体誰が?ダレンの立場だけではない。デビー、ミスター・クレプスリーやスティーブでさえも別の誰かがその立場に立っている…のかも。あなたが出会った人の中に、怪しい人はいませんか?あなたの周りにバンパイアやバンパニーズはいませんか?いたらこの作品を紹介してあげよう。物語なんて読まないデズモンド・タイニーの目を欺き、その企みをくじきながら未来を変えていくために。

とにかくとにかく面白かった。これは当然流行ります。
この作品ってすごいんだよ…と誰かに語りたくなるような…でも同年代のある程度の物語好きはだいたい読んでるので今更である。

今後、タイミングをみて外伝も読みたい。外伝のガブナーの話が大好きだった…。
実は『クレプスリー伝説』の方は未読だったりするので、今後読んでいきたい。
デモナータ』も当時あまり刺さらなかったんだけど、今読んだらまた変わっているかな。読み返したくなった。

多読の方はこれで150万語くらい。次は『盗神伝』(The Queen's Thief)に戻る予定。The King of Attoliaを少しずつ読み始めている。この間までは邦訳が出ていて内容は把握できているので、サクサク読み進めて年内で読み切りたい。

年末になるとワインが飲みたくなり、ワインが飲みたくなるとチーズとオリーブが欲しくなる。そうすると『盗神伝』が読みたくなる。これは自然の摂理なのです。

そしていよいよ本来の目的である「未邦訳の盗神伝の続きを読む」に来年こそは切り込みたい。

金庸『天龍八部』(全8巻)

去年の5−9月にかけて読了していたが、ブログに書きそびれていたのを思い出したので今更書いておく。

『魔道祖師』を読んだ流れで「武侠小説」なるジャンルの存在を知った。最初は『笑傲江湖』が読みたかったのだが図書館になく。かわりに、全巻そろっていて表紙が気になった『天龍八部』を手に取ったのだった。

結論、めちゃくちゃ面白かった。

当初は「金庸武侠小説の代表的作家」「タイトルは仏教由来で云々」「歴史的背景を踏まえて民族同士の衝突が云々」などの前情報ありきだったため、古めでお固めの硬派な作品なのかな?と思っていたが、蓋を開けてみるとひと昔前のラブコメみたいな展開が頻出し、ギャップで大いに面食らった。

以下、一巻段階で出てくるラブコメラノベか??要素
・介抱ラッキースケベ
・裸図が満載の秘伝書
・危険回避のための咄嗟の夫婦宣言
・旦那(仮)がほかの女に抱きついたと思って嫉妬したら母上
・密室媚薬盛り危機一髪状況
・気になるあの子は腹違いのきょうだい

最初の主人公・段誉も、江湖のトラブルに巻き込まれながらも武より文を愛する飄々とした人物で、しょっちゅう誘拐されるような弱さでもいっぱしの義侠心を持ち合わせていて嫌味がない。好感が持てる軽妙なキャラクターだった。

しかし全編そんなラブコメラノベなのではなく、しっかり周囲では民族同士の衝突や差別、亡国の妄執などが重厚に描かれている。温度差。

主に段誉で軽快ラブコメラノベをやって蕭峯で"民族と国家"みたいな話を同時並行で…さらに慕容復で亡国の亡霊もやるし虚竹で坊主なのに女の園の主!?もやる。

漫画的なキャラ造形なのにどっしりがっつり歴史の流れが背景にあり、軽妙軽薄なようでさらさら故事が引用され、大味のようで種まかれている布石が確かにある。

読んでいて大混乱である。こんな小説があるんだ…金庸先生って天才では…!?と今更金庸を"発見"している感覚が面白かった。


山程出てくるどのキャラクターも個性的で印象深かったが、特に一番好きなのはやっぱり段誉かも。主人公たちの中で一番人間くさい感じで、時々ちょっと情けないぐらいなのが作品の明るさにもなっていてとても良かった。


結末まで状況がコロコロとかわり、様々な思惑が複雑に絡み合って先が読めない展開が続いていく。正直、結局どうなったんだっけ?と消化不良な部分もあったりもしたのだが、最後の方の畳み掛けや、単純なハッピーエンドでもバッドエンドでもないような終わり方で、半ば呆然とするような読後感。なんだこれ。

特に慕容復と蕭峯の結末めちゃくちゃ咀嚼したい、最後の方のああすれば不義、こうすれば不孝、でもこれは不仁みたいなところの畳み掛けよ…。"こうあるべき"に押しつぶされてにっちもさっちもいかなくなるような。


独特の読み味がくせになる作品だった。
他の金庸作品も色々と開拓していきたい。